デジタル改革で八潮を豊かに

2 埼玉県政

近年目立つ「貯金」枯渇の自治体

「バラマキ」の果ての財政危機。自治体の貯金枯渇は将来世代への裏切りだ

近年、多くの自治体で「貯金」にあたる財政調整基金が枯渇の危機に瀕しているという報道が相次いでいる。コロナ禍対策や物価高騰対策を名目とした支出増が主な原因とされているが、この問題を単なる一時的な財政悪化と捉えるのは、あまりに楽観的すぎるだろう。これは、我が国の地方自治が抱える構造的な病理、すなわち「放漫経営」と「国への依存体質」が露呈した姿に他ならない。

目先の人気取りに消えた「未来への備え」

財政調整基金とは、災害や景気悪化など、不測の事態に備えるために積み立てられる、いわば自治体の「虎の子」である。これを安易に取り崩すことは、未来への備えを食い潰す行為であり、本来は厳に慎むべきだ。

しかし、現実はどうだろうか。コロナ禍を口実に、多くの自治体が競うように現金給付や商品券の配布といった「バラマキ」政策に走った。もちろん、真に困窮する人々への支援は必要である。だが、その多くが、費用対効果の検証も曖昧なまま、選挙を意識した人気取り政策の側面が強かったことは否めない。

平時から財政規律を軽視し、身を切る改革を怠ってきた自治体ほど、こうしたバラマキの誘惑に弱い。本来であれば、行政のスリム化や不要不急の事業の見直しによって財源を捻出するのが筋である。それをせず、安易に基金を取り崩すのは、将来世代の財産を食い潰す、無責任の極みと言わざるを得ない。

「困れば国が助けてくれる」という甘えの構造

さらに根深い問題は、多くの自治体に蔓延する「国への依存体質」である。地方交付税交付金をはじめとする国の財政支援に慣れきってしまい、自らの力で歳入を確保し、歳出を律するという、地方自治の根幹である「自己決定・自己責任」の精神が著しく希薄になっている。

「基金がなくなっても、最後は国が何とかしてくれる」という甘えが、財政規律のタガを緩ませる。このようなモラルハザードが、結果として自治体の自助努力を削ぎ、非効率な経営を温存させる温床となっているのだ。国もまた、地方の自立を促すのではなく、安易な財政支援で問題を先送りにしてきた責任は免れない。

今こそ求められる「小さな政府」と自律の精神

この危機的状況を乗り越えるために必要なのは、対症療法的な国の支援ではない。各自治体が断固たる決意で取り組む、徹底した行財政改革である。

第一に、聖域なき歳出削減を断行すべきだ。前例踏襲の事業や陳腐化した補助金は大胆に廃止・縮小し、行政サービスにおける民間活力の導入を一層推進することで、「小さくとも効率的な政府」を目指さねばならない。職員の給与体系や定数についても、民間準拠の厳しい視点で見直す覚悟が求められる。

第二に、自らの力で「稼ぐ」努力を強化することだ。規制緩和や税制優遇によって企業を誘致し、地域の魅力を活かした観光振興や特産品開発に注力するなど、歳入増に向けた知恵と実行力が問われている。国に頼るのではなく、自らの足で立つという気概を取り戻さねば、真の地方創生はあり得ない。

そして何より、住民一人ひとりが、自らの自治体の財政状況に厳しい目を向けることが重要だ。耳障りの良い政策を掲げる首長や議員を安易に支持するのではなく、その財源はどこから来るのか、将来世代に過度な負担を強いるものではないのかを冷静に見極める必要がある。痛みを伴う改革から目を背け、目先の利益に飛びつけば、そのツケは必ずや我々の子や孫の世代に回ってくるのである。

自治体の貯金枯渇は、我が国の民主主義と財政規律が健全に機能しているかを問うリトマス試験紙だ。この警鐘を無視し、放漫経営を続けるならば、待っているのは財政破綻という名の破局である。今こそ、政治家も、行政も、そして住民も、未来への責任を自覚し、自治の原点に立ち返るべき時である。

————-

ソース

この記事は役に立ちましたか?

参考になりましたら、下のボタンで教えてください。

関連記事

新着記事
会員限定
おすすめ
PAGE TOP
ログイン