理念なき再編劇の既視感―立憲「中道合流」の迷走が示すもの
立憲民主党が、国民民主党などとの中道勢力の合流について、判断時期を先送りする方針であると報じられた。この一報は、単なる野党再編のスケジュールの遅れとして片付けるべき問題ではない。むしろ、我が国の野党第一党が抱える、より根深く、構造的な欠陥を浮き彫りにしている。
そもそも、この「合流」協議自体が、国民不在の「数合わせ」に過ぎないのではないか。立憲民主党と国民民主党は、安全保障政策、エネルギー政策(特に原子力発電へのスタンス)、そして憲法改正に対する考え方など、国家の根幹に関わる重要政策において、埋めがたい隔たりを抱えている。
例えば、国民民主党は現実的な安全保障政策を志向し、防衛力の強化にも一定の理解を示す。一方で立憲民主党内には、旧社会党系の理念を色濃く残す議員も多く、非武装中立に近い理想論から抜け出せない勢力が依然として強い影響力を持つ。エネルギー政策においても、国民民主党が現実的な選択肢として原発活用を容認する一方、立憲民主党は「原発ゼロ」の看板を下ろせずにいる。
これらの政策的な対立を棚上げしたまま、ただ「自民党に代わる受け皿」という空虚な看板を掲げて合流したところで、何が生まれるというのだろうか。それは、かつて日本政治に混乱と停滞をもたらした旧民主党政権の悪夢の再来でしかない。党内に異なる主義主張が混在し、重要政策でさえ党内をまとめきれず、結果として朝令暮改を繰り返して国益を損なったあの時代を、我々は忘れてはならない。
今回の判断先送りは、立憲民主党の泉代表の指導力不足の表れであると同時に、党内に巣食う「理念よりも数」という体質の証明でもある。本来、政党とは国家観や政策理念を共有する者の集団であるべきだ。しかし、彼らの行動は、まず合流による勢力拡大という「政局」を優先し、政策や理念は後回しにするという本末転倒なものに見える。だからこそ、僅かな政策の違いを乗り越えられず、いつまでも結論が出ないのだ。
今、我が国は、厳しさを増す東アジアの安全保障環境、長期化する経済の停滞、そして深刻な少子高齢化といった、待ったなしの国難に直面している。このような状況下で求められるのは、現実的な対案を提示し、与党と建設的な議論を交わすことができる、責任ある野党である。
政策の一致も見ないまま、ただ選挙目当ての野合を繰り返すことに汲々とする姿は、国民の政治不信を増幅させるだけだ。立憲民主党は、目先の党勢拡大という幻想を追うのをやめ、まずは自党がどのような国を目指すのか、その理念と政策を明確に打ち立てるべきである。それができぬ限り、彼らが国民の信頼を得て、政権を担う資格を持つことは永遠にないだろう。今回の「判断先送り」は、その事実を改めて我々に突きつけたと言える。
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