感情論か国益か?NPT外相出席論に潜む危うさ
核拡散防止条約(NPT)再検討会議を前に、与野党から林外務大臣の出席を求める声が上がっているという。唯一の戦争被爆国として、日本の外相が国際会議で核軍縮を訴える。一見、それは極めて当然で、正義であるかのように聞こえる。
しかし、我々はこの「被爆国だから」という枕詞の魔力に思考停止してはいないだろうか。国際政治の厳しい現実から目を背け、耳障りの良い理想論に酔いしれることは、果たして日本の国益に適うのだろうか。
■「橋渡し役」という名の自己満足
与野党が異口同音に唱えるのが、核保有国と非保有国の「橋渡し役」という役割だ。しかし、これは幻想に過ぎない。日本は米国の「核の傘」に国家の存立を依存している。この現実を抜きにして、どうして中立的な「橋渡し役」など務まるというのか。
核兵器の全面禁止を訴える非保有国から見れば、日本は米国の核抑止力に安住する「裏切り者」に映るだろう。一方、核保有国からすれば、日本の理想論は自国の安全保障を考慮しない「お花畑」の議論としか受け取られない。結局、どちらからも信頼されず、日本の発言力は空虚なものとなる。
「橋渡し役」という美名の下、国際会議で立派な演説を披露し、国内向けに「国際貢献」をアピールする。それは外交ではなく、単なる自己満足のパフォーマンスでしかない。
■ロシアの暴挙が突きつけた現実
今、我々が直視すべきは、ロシアによるウクライナ侵攻という冷徹な現実だ。核保有国が、主権国家を力で蹂躙し、核兵器で世界を恫喝している。この状況下で、性善説に基づいた「核廃絶」をいくら叫んでも、侵略者の心には一片も響かない。むしろ、力を持たぬ国の正論がいかに無力であるかを、世界に知らしめるだけである。
日本の周辺を見渡せば、核兵器を保有し、恫喝を繰り返す中国、ミサイル開発に狂奔する北朝鮮、そして極東で軍事活動を活発化させるロシアが存在する。この中で日本の平和と独立を守るためには、理想論ではなく、日米同盟を基軸とした現実的な抑止力の強化こそが不可欠だ。
■外相がNPTで語るべきこと
もちろん、外相の会議出席そのものを否定するものではない。しかし、出席するのであれば、その目的は明確でなければならない。
第一に、ロシアによる核の威嚇という暴挙を、国際社会の名において断固として非難すること。そして、中国の不透明な核戦力増強に対し、明確な懸念を表明することだ。核不拡散体制を揺るがす勢力にこそ、厳しいメッセージを突きつけるべきである。
第二に、日本の安全保障環境の厳しさと、それ故に米国の拡大抑止、すなわち「核の傘」が不可欠であるという現実を、国際社会に対して堂々と説明することだ。「核なき世界」という理想を掲げつつも、自国の安全を他国の善意に委ねるような無責任な態度は取らない、という国家の覚悟を示す必要がある。
「唯一の被爆国」という経験は、感傷的な平和主義に浸るためのものではない。核兵器の恐ろしさを知るからこそ、それが二度と使われることのないよう、いかにして核の使用を抑止するかという現実的な知恵を導き出すための教訓であるべきだ。
外相のNPT出席が、単なる国内向けのアピールや、空虚な理想論の繰り返しに終わるならば、国益を損なうだけである。日本の存立をかけた、したたかで現実的な外交戦略をこそ、世界に示すことを強く求める。
————-
ソース