国益を損なう「正義」の暴走 ― 大川原冤罪事件が保守派に突きつける重い課題
「大川原化工機」の名を聞いて、胸を痛める国民は少なくないでしょう。生物兵器に転用可能な機械を不正に輸出したという容疑をかけられ、社長らが逮捕・起訴されたものの、最終的に検察が起訴を取り下げた、まぎれもない冤罪事件です。そして先日、勾留中に癌が悪化し、志半ばで亡くなられた元役員の相嶋さんのご遺族が、国と東京都を相手取り、国家賠償請求訴訟を起こしたという報道がありました。
この事件に対し、「また国家権力の暴走か」と、いわゆるリベラル・左派的な視点からの批判が数多くなされています。しかし、私はあえて申し上げたい。この事件は、国家の秩序と健全な発展を願う我々保守派こそが、最も怒り、その本質を直視しなければならない深刻な問題である、と。
「法の支配」を自ら破壊した捜査機関
我々保守派が重んじる国家の根幹、それは「法の支配」です。法の下の平等が保障され、国家権力もまた法によって厳格に縛られる。だからこそ、国民は国家を信頼し、秩序は維持されるのです。
しかし、大川原事件で警視庁公安部や検察が行ったことは、その「法の支配」を根底から覆す暴挙に他なりません。一度「悪人」だと見立てた企業に対し、都合の良い証拠だけをつまみ食いし、専門家の意見や被告側の主張に耳を貸さず、強引に起訴へと突き進んだ。これは、法の番人であるべき者が、法を自らの「正義感」の道具として濫用したということです。
本来、警察や検察は、犯罪から国民を守り、国家の安全を維持するための重要な機関です。その権威は尊重されねばなりません。しかし、その権威は、厳格な規律と公正さ、そして何よりも法への忠誠心によってのみ担保されるものです。無実の国民を罪に陥れ、一人の尊い命まで奪っておきながら、組織としての明確な謝罪や反省の弁も聞こえてこない現状は、権力の驕りであり、規律の崩壊を示しています。これは、国家の土台を内側から腐らせる、極めて危険な兆候です。
国益を毀損したのは一体誰か
この捜査は、一体何を守ろうとしたのでしょうか。外為法違反の容疑は、言うまでもなく国家の安全保障に関わる問題です。安全保障を重視する我々保守派にとって、その取り締まりの重要性は論を俟ちません。
しかし、結果として何が起きたでしょうか。日本の優れた技術力を持ち、世界市場で正当なビジネスを行っていた中小企業が、存亡の危機に立たされました。国際的な信用は傷つけられ、社員たちの誇りは踏みにじられました。そして何より、日本の技術開発の最前線にいたであろう人材の命が失われたのです。
これは、安全保障の名を借りて、日本の国富そのものである技術力と企業の活力を削ぐ行為ではなかったでしょうか。真に国益を考えるならば、疑わしい点があれば慎重に捜査しつつも、企業の活動を不当に阻害することは最大限避けねばなりません。今回の事件は、ミクロな「検挙実績」を求めるあまり、マクロな国益を著しく損なった本末転倒の極みです。中国や北朝鮮の脅威を語る前に、我々は足元にある、自国の国力を自ら蝕む病巣にこそ、目を向けなければならないのです。
国家への信頼を取り戻すために
相嶋さんのご遺族が起こされた訴訟は、単なる金銭賠償を求める戦いではありません。これは、国家の名の下に行われた不正義に対し、公の場でその責任を問い、失われた名誉を回復するための、そして二度とこのような悲劇を繰り返させないための国民的な戦いです。
我々国民は、この訴訟の行方を他人事として傍観してはなりません。特に、国家の安定と繁栄を真に願う者であればこそ、国家権力が国民の信頼を裏切った時には、誰よりも厳しくその誤りを糾す声を上げるべきです。甘やかすこと、見て見ぬふりをすることは、国家への愛ではなく、むしろその堕落を助長する行為に他なりません。
捜査機関には、猛省を促します。組織のメンツを守ることよりも、国民からの信頼を取り戻すことが、あなた方の存在意義そのものであるはずです。そして司法には、この訴訟において、個人の尊厳と正義を守る最後の砦としての役割を全うすることを強く期待します。
この悲しい事件を乗り越え、より強く、より公正な国家を築くこと。それが、亡くなられた相嶋さんの御霊に報い、この国に生きる我々全ての責務であると信じています。
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