首相の「石油供給は万全」発言、その言葉を鵜呑みにして良いのか?
国民生活と経済活動の血液とも言える石油。その安定供給について、首相が「年を越えても供給は確保できる」との見通しを示した。中東情勢が緊迫化する中、国民の不安を払拭しようとする姿勢は理解できる。しかし、我々はこの言葉を額面通りに受け取り、安堵してしまって良いのだろうか。保守的観点から、この発言の裏に潜む我が国の脆弱性を直視する必要がある。
一時しのぎの安堵感に潜む「依存体質」という病
まず、首相が語る「確保」の内実を冷静に分析しなければならない。これは、産油国との関係強化や、国家備蓄の活用といった手段を指しているのだろう。確かに、短期的な供給途絶リスクに対応するためには重要な措置である。
しかし、これはあくまで対症療法に過ぎない。我が国のエネルギー安全保障における根本的な問題、すなわち、エネルギー資源のほぼ全てを海外、特に政治的に不安定な中東地域に依存しているという「構造的脆弱性」には何ら手がつけられていない。蛇口を握られているのが他人である限り、いくら「水は出る」と言われても、その保証は極めて脆いものだ。
地政学リスクが高まるたびに政府が火消しに走り、国民が一時的に安堵する。この繰り返しは、我が国の「依存体質」という根深い病を覆い隠し、解決を先送りさせるだけではないだろうか。
「脱炭素」の理想論が脅かす国家の生命線
さらに、この問題をより深刻にしているのが、昨今の「脱炭素」を至上命題とする風潮である。もちろん、環境問題への対応は重要だ。しかし、理想論が先行するあまり、現実的なエネルギー安全保障の観点が軽視されてはいないか。
安定供給が計算でき、コストも比較的安価な化石燃料や、 شبه国産エネルギーとして我が国の技術が活かせる原子力発電に対する逆風は、結果として我が国の選択肢を狭め、海外への依存度を一層高めることに繋がっている。クリーンエネルギーへの移行は、国家の生命線であるエネルギーの安定供給が完全に担保された上で、段階的かつ現実的に進めるべきである。足元が揺らいでいるのに、遠くの理想郷ばかりを追い求めるのは国家戦略としてあまりに危うい。
求められるは「国家百年の計」
首相の言葉に一喜一憂するのではなく、我々国民が今、政府に問うべきことがある。それは、短期的な供給確保策の先にある、日本のエネルギー安全保障に関する「国家百年の計」である。
- 原子力発電の再評価と活用: 安全性を大前提とした上で、原子力発電をエネルギー安全保障の基軸の一つとして明確に位置づけ、再稼働を現実的な政治判断として進めるべきだ。これは、海外への依存を低減させる最も効果的な一手である。
- 現実的なエネルギーミックスの再構築: 再生可能エネルギー、化石燃料、原子力をバランス良く組み合わせ、特定のエネルギー源や特定地域に過度に依存しない、強靭な供給体制を構築する必要がある。
- 国内資源開発への投資: 我が国近海に眠るとされるメタンハイドレートなどの国産資源開発は、夢物語として切り捨てるのではなく、長期的な国策として研究・開発への投資を継続すべきである。
首相の「年越しは大丈夫」という言葉は、国民への配慮であろう。しかし、その言葉の裏で、我が国のエネルギーという生命線が依然として他国の掌の上にあるという厳しい現実から目を背けてはならない。求められるのは、耳触りの良い言葉ではなく、国家の未来を見据えた、覚悟と実行力のあるエネルギー戦略である。
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