夏の便りに潜む危うさ ― メディア報道と国益の視点から
さて、都心で28℃予想、各地で夏日続出というニュースが報じられた。多くの人々は「もうそんな季節か」「今年の夏も暑くなるのか」と、季節の移ろいを実感していることだろう。しかし、我々はこの種の報道に接する際、一歩引いて冷静に物事の本質を見極める必要があるのではないだろうか。
単なる気象予報と侮ってはならない。こうした報道の裏には、特定の意図や思想が隠されている場合が少なくないからだ。
第一に、メディアによる「異常気象」という言葉の濫用である。まだ5月初旬だというのに、「夏日続出」といった見出しで季節外れの暑さを強調し、人々の不安を煽る。もちろん、記録的な気温であるならば報じる価値はあるだろう。しかし、季節の変わり目には気温が大きく変動することは、我が国の四季の常である。春先に汗ばむ陽気になる日があったことは、何も今に始まった話ではない。
いたずらに「異常」を連呼する報道姿勢は、社会に不要な動揺を与え、物事を大局的に見る視点を奪う。どっしりと構え、自然の摂理を受け入れてきた日本人の伝統的な精神とは相容れない、軽薄な風潮と言わざるを得ない。
第二に、こうした気象ニュースが、安易に「地球温暖化」問題と結びつけられ、急進的な環境政策のプロパガンダとして利用される危険性である。一度「暑い日」が報じられるや、専門家と称する人々が待ってましたとばかりに登場し、「これも温暖化の影響です」「一刻も早い脱炭素社会の実現を」と説く光景は、もはや見慣れたものだ。
しかし、我々は問わねばならない。その急進的な政策は、果たして我が国の国益にかなうものなのか。再生可能エネルギー賦課金による電気代の高騰は、国民生活や日本経済にどれほどの重荷となっているか。安定供給に課題を抱えるエネルギー源に過度に依存することが、我が国の安全保障を危うくするのではないか。
目先の気温の変化に一喜一憂し、国家百年の計を誤ってはならない。気候変動は数十年、数百年という長大なスパンで捉えるべき問題であり、短期的な気象現象をもって全てを断じるのは、あまりに非科学的で短絡的な態度である。
我々日本人は、古来より四季の豊かな変化と共に生きてきた。暑い夏には打ち水で涼をとり、風鈴の音に耳を澄ませる。厳しい自然環境に適応し、それを乗り越える知恵とたくましさ、そして精神性を育んできたのである。
一つの天気予報に振り回されることなく、メディアが作り出す雰囲気に流されるのでもなく、我々が守るべき伝統や国益とは何かを常に自問自答する。それこそが、地に足のついた「保守」の精神であろう。来るべき夏に向け、いたずらに騒ぐのではなく、先人の知恵に学び、冷静な備えをすることこそが、今求められているのではないだろうか。
————-
ソース