理念なき野合か? 新党合意と公明党の不可解な動きに潜む日本の危機
またしても政界に、既視感を覚える動きが報じられた。「新党合意」そして「公明党は小選挙区で候補者を擁立せず」というニュースである。一見すると、硬直化した政治に新たな選択肢が生まれるかのような、清新な響きさえ感じられるかもしれない。
しかし、我々はこの動きの裏に潜む本質を、冷静かつ厳しい目で見極めねばならない。これは果たして、国民のための新たな希望なのか。それとも、選挙を目前にした議員たちの生き残りを賭けた、理念なき「野合」に過ぎないのだろうか。保守の立場から見れば、後者の疑いが極めて濃厚であり、日本の未来にとって看過できない危険性をはらんでいると言わざるを得ない。
「反自民」だけで国は動かせない
まず、合意されたとされる「新党」なるものの正体である。参加が噂される顔ぶれを見れば、その政策や理念、国家観がいかにバラバラであるかは火を見るより明らかだ。彼らを結びつけている唯一の共通項は、「反自民」「政権批判」という一点のみである。
だが、国のかじ取りは、単なる批判や反対だけで務まるものではない。我が国が直面する、厳しさを増す安全保障環境、長期的な経済再生、少子高齢化といった待ったなしの課題に対し、いかなる国家観に基づき、いかなる具体的なビジョンと政策を示すのか。その肝心な部分が、こうした野合からは全く見えてこない。
かつて、同じように「政権交代」のスローガンだけで権力の座に就いた政権が、いかに国政を混乱させ、国益を損なったかを我々は忘れてはならない。外交での迷走、安全保障政策の軽視、財源なきバラマキ政策の横行。その悪夢の再来を招きかねない動きを、手放しで歓迎することなど到底できようはずがない。
公明党の動きは与党としての責任放棄ではないか
さらに不可解なのは、公明党の対応である。連立与党の一角を占め、政権運営に責任を負う立場にありながら、特定の選挙区で候補者を立てず、事実上、新党の候補者を利するような動きを見せる。これは一体どういうことか。
連立政権とは、政策の一致を前提に、互いに信頼し合い、選挙においても協力して国民の信を問うのが本筋であるはずだ。自らの党勢維持や特定選挙区での議席確保という「党利党略」を優先し、連立のパートナーである自民党との信義を損ない、政権の安定基盤を揺るがすような行為は、与党としての責任放棄に他ならない。
もし、現政権の政策に異を唱えるのであれば、正々堂々と連立を離脱し、国民に信を問うべきである。政権の甘い汁は吸い続けながら、選挙では野党と手を結ぶかのような曖昧な立ち回りは、有権者に対する背信行為であり、政治不信を一層深刻化させるだけだ。
我々が選択すべき道
今回の新党合意とそれにまつわる一連の動きは、結局のところ、政策論争を置き去りにした数合わせのゲームに過ぎない。このような政局の混乱は、我が国が取り組むべき喫緊の課題から国民の目をそらし、貴重な時間を浪費させるだけである。
我々有権者は、耳障りの良いスローガンや目先の選挙協力に惑わされてはならない。政治家に求められるのは、選挙に勝つためのテクニックではない。この国をどう守り、どう発展させていくのかという確固たる国家観と、いかなる困難にも立ち向かう覚悟と責任感である。
表面的な「新しさ」や「変化」という言葉に踊らされることなく、誰が、どの政党が、日本の国益と未来に対し、真に責任を負おうとしているのか。その本質を見抜く厳しい視点が、今ほど求められている時はない。国の将来を、理念なき野合に委ねるわけにはいかないのである。
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