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2 埼玉県政

小泉氏 豪防衛相と共にランニング

汗とパフォーマンスの裏で国益は守られたか?小泉進次郎氏の豪州「ランニング外交」を保守の視点から斬る

小泉進次郎氏がオーストラリアの国防相兼副首相という要人と共に、首都キャンベラの朝を駆け抜けた。このニュースは、一部メディアで「新しい形の外交」「人間関係構築の妙」などと好意的に報じられている。確かに、スーツ姿で握手を交わすだけが外交ではない。共に汗を流すことで生まれる信頼関係もあるのだろう。

しかし、我々保守派は、こうした耳障りの良いパフォーマンスの裏にある「実」をこそ、冷静に見極めねばならない。政治家の行動は、それが如何なる形であれ、最終的に国益にどう貢献したかで評価されるべきだからだ。今回の「ランニング外交」は、果たして日本の国益に資するものだったのか。いくつかの観点から検証したい。

パフォーマンス先行の危うさ

まず指摘すべきは、小泉氏の政治スタイルに一貫して見られる「パフォーマンス先行」の姿勢である。メディア映えする絵作り、キャッチーな言葉選び。その発信力は確かに突出している。しかし、政治の本質は、地道な調整と交渉の末に、国家国民のための具体的な成果を出すことにある。

今回のランニングも、「オープンに話ができた」「個人的な信頼関係を深めることができた」という氏の言葉が報じられているが、それだけでは国民は何の評価も下せない。厳しい国際情勢の中、友好国の国防大臣と会うという貴重な機会に、具体的にどのような議論がなされたのか。日本の安全保障環境、特にAUKUS(米英豪の安全保障協力)と日本の連携、中国の軍事的脅威への共同対処について、どのような突っ込んだ話ができたのか。その肝心な部分が全く見えてこない。

「個人的な信頼関係」という言葉は美しいが、それはあくまで国益を実現するための「手段」であって「目的」ではない。甘い言葉の裏で、国益を損なうような譲歩を迫られてはいないか。国家間の交渉とは、時に非情な駆け引きの場である。個人的な親密さが、かえって相手に利用される隙を与えかねないという警戒心を、我々は常に持つべきである。

問われるべき政治家の「格」と「成果」

相手は国防相であり、副首相も兼務する大物だ。一方、小泉氏は現在、政府の要職にあるわけではない。一議員に過ぎない氏のために、なぜマールズ氏が貴重な朝の時間を割いたのか。これは、小泉氏個人への期待というよりは、将来の日本のリーダー候補の一人として、その人物や考え方を見定めようという、オーストラリア側のしたたかな計算があったと見るべきだろう。

だとすれば、小泉氏はこの絶好の機会を活かし、日本の国家としての立場、特に防衛費増額や反撃能力保有といった国家の根幹に関わる政策について、力強く訴え、相手の理解と協力を取り付けるべきであった。単なる世間話や個人的なアピールに終始していたとすれば、それは国益の観点から見て、大きな機会損失と言わざるを得ない。

そもそも、小泉氏は「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の事務局長として訪豪している。国防と財政は車の両輪であり、防衛力の抜本的強化には安定した財源が不可欠だ。その点について、国防の現場を預かる大臣とどのような現実的な議論を交わしたのか。それこそが、国民が知りたい本質的な「成果」ではないだろうか。

結論:イメージ戦略よりも国家への献身を

今回の「ランニング外交」は、現代的なアピールとしては成功したのかもしれない。しかし、政治家の評価は、流した汗の量やメディアへの露出度で決まるものではない。国家の存立と国民の生活を守るため、どれだけの具体的な成果を挙げたか、その一点に尽きる。

我々は、爽やかなイメージやパフォーマンスに惑わされることなく、政治家の行動一つひとつを国益という揺るぎない物差しで測り続ける必要がある。小泉氏が真に国家の将来を担う指導者を目指すのであれば、イメージ戦略に長けた「スター選手」ではなく、国民の負託に応えるため、見えない場所で泥臭く汗を流し、結果を出す「国士」としての姿を見せていただきたい。その覚悟と実績が示されない限り、今回のランニングは、美しい朝の風景を背景にした、空虚な一コマとして記憶されるに過ぎないだろう。

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