「節電」の前に政府がやるべきこと。岸田首相「節電要請」発言から見るエネルギー政策の迷走
岸田文雄首相が今冬の電力需給について「節電要請の可能性を排除しない」と述べた。この発言を聞いて、「またか」とため息をついた国民は少なくないだろう。夏の猛暑に続き、冬の厳しい寒さの中、我々は再び「自助努力」を求められることになるのか。
しかし、この問題を単なる「電力不足」や「燃料価格の高騰」という一過性の現象として捉えるべきではない。これは、長年にわたる我が国のエネルギー政策の失敗と、国家の根幹を揺るがす安全保障意識の欠如がもたらした、必然的な帰結なのである。
責任を国民に転嫁する「節電要請」という安易な選択
そもそも、国民生活と経済活動の基盤であるエネルギーを安定的に供給することは、政府の最も重要な責務の一つである。その責務を棚に上げ、国民に「節電をお願いします」と協力を呼びかけるのは、本来あるべき姿から逸脱していると言わざるを得ない。
もちろん、国民一人ひとりが省エネを心掛けることは美徳である。しかし、政府が政策の失敗のツケを国民の「善意」や「我慢」に依存する構造が常態化してはならない。これは、政府が自らの無策を認め、責任を国民に転嫁しているに等しい。企業は生産活動を制限され、家庭は暖房を我慢する。その先に待っているのは、経済の停滞と国民生活の疲弊である。
なぜ、日本は電力危機に陥ったのか
この構造的な電力不足は、決して突発的に起きたものではない。そこには明確な原因が存在する。
第一に、理想が先行した「脱炭素」政策の歪みである。環境保護は重要だが、安定供給を担保しないまま、信頼性の高い火力発電所を次々と休廃止に追い込んできた。天候に左右される不安定な再生可能エネルギーに過度に依存するエネルギーミックスは、あまりに現実離れしており、脆弱だ。エネルギー政策は、理想論ではなく、国益と国民生活を第一に考えた現実主義(プラグマティズム)に立脚すべきである。
第二に、国家安全保障の要である原子力発電の軽視である。世界各国がエネルギー安全保障の観点から原子力への回帰を鮮明にする中、我が国では、厳格な安全基準をクリアした原子力発電所の再稼働すら遅々として進んでいない。政治的な思惑や一部の世論に忖度し、エネルギー自給率向上と安定供給に不可欠な選択肢を自ら放棄してきた罪は重い。エネルギーを他国に依存する状態が、いかに国家を危険に晒すか。ロシアによるウクライナ侵攻が、その現実を我々に突きつけたはずだ。
今、政府が下すべき決断とは
我々が政府に求めるのは、小手先の「節電ポイント」や国民への「お願い」ではない。国家の百年を見据えた、エネルギー政策の抜本的な転換である。
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原子力発電の最大限の活用: 安全性が確認された原発は、政治のリーダーシップによって速やかに再稼働させるべきである。同時に、次世代革新炉の開発・建設にも着手し、将来にわたる安定的なエネルギー源を確保せねばならない。
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現実的なエネルギーミックスの再構築: 再生可能エネルギーはあくまで補完的な役割と位置づけ、安価で安定的な火力発電も活用する。特定のエネルギー源に偏重することなく、多様な選択肢を持つ「ベストミックス」を再構築することが急務だ。
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エネルギー安全保障の確立: 自前のエネルギーを確保することは、経済安全保障、ひいては国家の主権そのものに関わる問題である。エネルギー自給率の向上を国家目標として明確に掲げ、そのための具体的な道筋を示すべきである。
国民に痛みを強いる前に、政府が果たすべき責任がある。冬の寒さに国民を震えさせるような事態を招く前に、政治家は自らの覚悟と決断を示すときだ。「節電要請」という言葉が、為政者の無策と怠慢の言い訳として使われることが、二度とあってはならない。
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