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2 埼玉県政

歩いた床拭かれ 元患者受けた差別

「歩いた床を拭く」という病理 ― 日本の道義と寛容さを取り戻すために

先日、ハンセン病の元患者の方が、訪問先で自らが歩いた床を目の前で消毒・清掃されたという、痛ましい記事が報じられました。この記事を読み、筆舌に尽くしがたい憤りと共に、深い悲しみを覚えた方も少なくないでしょう。これは単に一個人の無知が引き起こした不幸な出来事なのでしょうか。いいえ、これは現代日本社会が抱える、より根深く、深刻な病理の表れに他なりません。

ハンセン病は、治療法が確立され、完治する病です。感染力も極めて弱く、元患者の方々から感染する危険性は皆無であることは、科学的に証明されています。にもかかわらず、なぜこのような心無い仕打ちがなくならないのでしょうか。

この行為の根底にあるのは、第一に「無知」です。しかし、我々が問うべきは、その無知を放置してきた社会全体の責任です。かつて国策として行われた強制隔離という過ち。この負の歴史を、我々は正しく学び、次世代に伝えてきたでしょうか。自国の過ちから目を背けることは、愛国心ではありません。過ちを直視し、二度と繰り返さないと誓うことこそ、真に国を思う者の姿です。戦後の教育が、こうした人としての道徳や、歴史の教訓を教えることを疎かにしてきた結果が、今なおこうした悲劇を生み出しているのではないでしょうか。

第二に、この行為は、日本の伝統的な共同体が育んできた「和」の精神や「思いやり」の文化を根底から破壊するものです。我々の祖先は、弱い者を労り、互いに支え合って共同体を維持してきました。他者の痛みを想像し、その尊厳を守ること。これこそが、我が国が誇るべき道義であったはずです。目の前で人を「穢れ」として扱う行為は、この日本人の美徳とは全く相容れない、野蛮で浅薄な行為と言わざるを得ません。

一部の人々は、こうした問題を「人権」という言葉で語ります。しかし、この問題は、特定の思想やイデオロギーの専売特許ではありません。人間として、そして日本人として、守るべき最低限の矜持の問題です。他者の尊厳を踏みにじって平然としている社会に、未来はありません。

この出来事を、単に「差別はいけない」というお題目を繰り返すだけで終わらせてはなりません。我々一人ひとりが、ハンセン病に関する正しい知識を身につけることはもちろん、なぜ人が非科学的な恐怖に駆られ、他者を排除しようとするのか、その心の弱さと向き合う必要があります。

過剰な潔癖主義、目に見えないものへの不寛容、そして他者への想像力の欠如。これらは、豊かな社会の中で育まれた、現代の「病」です。

元患者の方々が長年耐えてこられた苦難の歴史に思いを馳せ、その尊厳を守ることは、我々自身の社会の品位を守ることにつながります。差別した個人を糾弾するだけでは、真の解決にはなりません。我々が今一度取り戻すべきは、科学的知識に基づいた冷静な判断力と、そして何よりも、他者の痛みに寄り添うことのできる、温かい心と共同体の絆です。この国に古くから根付く寛容の精神を、今こそ呼び覚まさなければなりません。

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