「官製賃上げ」の危うさ ― 高市氏の賃上げ策を保守の立場から問う
「賃上げを企業に丸投げしない」― 高市早苗氏から発せられたこの言葉は、一見すると国民生活に寄り添う、力強いリーダーシップの表明と聞こえるかもしれない。長引くデフレとスタグフレーションの懸念の中、政府が率先して国民の所得向上に取り組む姿勢は、多くの支持を集めるだろう。
しかし、我々保守を自認する者にとって、この発想は手放しで歓迎できるものではない。むしろ、その根底に横たわる国家による市場への過剰介入、すなわち「大きな政府」への回帰という危険な兆候に、警鐘を鳴らさねばならない。
自由経済の根幹を揺るがす「官製春闘」
そもそも賃金とは、企業の生産性や収益性を基に、労使間の自由な交渉によって決定されるべきものである。これは自由主義経済における大原則だ。政府の役割は、その交渉が公正に行われるためのルールを整備し、企業が利益を上げ、賃金を支払う原資を生み出せるような事業環境を整えることに尽きる。
「丸投げしない」という言葉の裏には、政府が税制や補助金、あるいは公的価格の操作といった手段を用いて、賃金決定という企業の最も重要な経営判断に直接介入しようとする意図が透けて見える。これは、かつて批判された「官製春闘」の再来であり、市場原理に対する冒涜に他ならない。
企業の体力や業種による事情を無視した一律の賃上げ圧力は、経営の自由を奪い、企業の活力を削ぐ。結果として、国際競争力を失い、長期的には雇用そのものを不安定にしかねない。これは、社会主義的な統制経済への道を一歩踏み出すものであり、我が国が守り育ててきた自由な経済社会の根幹を揺るがす行為である。
賃上げは「結果」であり「目的」ではない
保守主義が目指す国家像とは、国民一人ひとりが自助努力の精神に基づき、その能力を最大限に発揮できる社会である。政府の役割は、国民に魚を与えることではなく、魚の釣り方を教え、そして魚が豊富にいる自由な海(市場)を守ることだ。
賃上げは、経済成長の「結果」として自然に達成されるべきものであり、それ自体が「目的」となってはならない。政府が真に取り組むべきは、賃上げの強制ではなく、企業が自ずと賃上げしたくなるような、力強い経済成長を実現することである。
そのためには、岩盤規制の打破、大胆な減税による企業の投資意欲の喚起、そして安定したエネルギーの確保こそが急務である。小手先の賃上げ誘導策に血税を注ぎ込むのではなく、日本経済の足枷となっている構造的問題にこそ、政治のメスを入れるべきなのだ。目先の分配に囚われ、成長という国家の根幹を疎かにすることは、本末転倒と言わざるを得ない。
将来世代への責任を忘れてはいないか
政府による賃上げ介入は、多くの場合、補助金や減税といった財政出動を伴う。これは聞こえは良いが、その原資は国民の税金であり、国の借金である。一時的な賃上げのために財政規律を緩め、将来世代に更なる負担を押し付けることは、保守の理念に反する。
保守主義とは、過去から受け継いだ伝統や資産を健全な形で次世代に引き継ぐことに責任を負う思想である。目先の人気取りや対症療法に終始し、国家の百年を見据えた長期的視点を欠く政策は、断じて容認できない。
高市氏が掲げる「強い日本」を取り戻すという気概には、多くの国民が共感するだろう。しかし、その道筋が、国家の介入を強め、民間の活力を削ぎ、財政を悪化させるものであってはならない。真の保守が目指すべきは、政府の介入に頼らずとも、国民と企業がその活力によって豊かさを実現できる、自由でたくましい国家の再建である。その王道を、我々は断固として求め続けたい。
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