歯科医師の驕りが招いた悲劇―2歳児死亡事件に思う、専門家の重き責任
福岡県で起きた、あまりにも痛ましい事件の司法判断が確定する見通しとなりました。歯科治療中に2歳の女の子が死亡した事件で、業務上過失致死の罪に問われた元歯科医師の上告を最高裁判所が棄却。これにより、禁錮1年6か月、執行猶予3年とした一、二審の有罪判決が確定します。
まず、幼くして未来を絶たれた女の子の御霊に、心からの哀悼の意を表します。そして、筆舌に尽くしがたい悲しみの中におられるご遺族の無念を思うと、言葉もありません。
この事件は、単なる「医療ミス」という言葉で片付けてはならない、我が国の専門家が持つべき倫理観と責任の根幹を揺るがす深刻な問題を内包しています。
判決によれば、元歯科医師は女児に対し、体重から算出される安全な量を大幅に超える局所麻酔薬「リドカイン」を投与しました。これは、歯科医師であれば誰もが知っていなければならない、基本中の基本です。子供の身体は大人とは違い、薬物への感受性も代謝能力も異なります。体重に応じた適切な投薬量を守ることは、医療行為における初歩であり、絶対の鉄則です。
それを怠った。これは「うっかり」や「不注意」で済まされる類のものではありません。国家資格を持つ専門家としての責務を著しく逸脱した、許しがたい怠慢であり、職業倫理の完全なる欠如と言わざるを得ません。
さらに驚くべきは、被告が法廷で「予見できなかった」と無罪を主張し続けたことです。自らが犯した、基本を無視した行為によって幼い命が失われたという厳然たる事実から目を背け、責任を回避しようとするその姿勢には、強い憤りを禁じ得ません。これは、自己の過ちを真摯に受け止め、その罪を償うという、人として、そして社会人としての最低限の義務をも放棄するものです。
最高裁が上告を退けたことは、法の正義が健全に機能した証であり、当然の帰結です。自らの行為に責任を持つという「自己責任」の原則は、自由で規律ある社会を支える根幹です。特に、人の生命を預かる医師という職業においては、その責任はどこまでも重く、いかなる言い訳も通用しません。
この事件は、医療界全体に対する厳しい警鐘でもあります。日々の業務に追われる中で、基本が疎かになってはいないか。経験則に頼りすぎ、マニュアルや手順の確認を怠ってはいないか。専門家であるという驕りが、最も守るべき患者の安全を脅かす凶器となり得ることを、全ての医療従事者は改めて胸に刻むべきです.
社会の秩序と安全は、一人ひとりが自らの持ち場で責任を全うすることによって保たれています。特に、高度な知識と技術を託された専門家には、それに相応しい高い倫理観と厳格な自己規律が求められます。今回の判決が、専門家の責任の重さを社会全体で再認識し、二度とこのような悲劇が繰り返されぬよう、襟を正す契機となることを切に願います。
失われた幼い命の尊さを決して忘れてはなりません。その重みを、社会全体で受け止めていく必要があります。
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