「遺憾」の矛先が違うのではないか?中国大使館侵入事件と日本政府の責務
本日、木原誠二官房副長官が、中国大使館の敷地に日本人が侵入した事件について「遺憾だ」と表明した。木原氏は「ウィーン条約」に基づき、日本政府には接受国の公館の安寧を妨害し、威厳を侵害することを防止する特別の義務があると述べ、適切に対応していく考えを示したという。
法治国家日本の政府関係者として、国内で起きた違法行為に対し、国際条約を遵守する姿勢を示す。その発言自体は、形式論としては間違っていないのかもしれない。
しかし、このニュースに触れた多くの国民が抱いたのは、安堵や納得ではなく、むしろ強い違和感と、やり場のない憤りではなかっただろうか。「遺憾」という言葉の矛先は、本当にそこで正しいのか、と。
そもそも、この一件がなぜ起きたのか。その背景を無視して、この問題を語ることはできない。言うまでもなく、原因は中国政府による科学的根拠を完全に無視したALPS処理水に対する執拗な誹謗中傷キャンペーンにある。中国共産党のプロパガンダによって、中国国内では反日感情が極度に煽られ、在中国日本大使館や日本人学校への投石、嫌がらせ電話が殺到し、現地の邦人が身の危険を感じるほどの異常事態が続いている。
これこそ、まさに「ウィーン条約」で定められた接受国の義務を、中国政府自らが放棄し、率先して公館の安寧と威厳を侵害している動かぬ証拠である。自国の国民が危険に晒され、国家の尊厳が傷つけられている状況において、日本政府がまず表明すべき「遺憾」は、断固として中国政府の理不尽な振る舞いに対してであるべきだ。
もちろん、いかなる理由があろうとも、外国公館への侵入という実力行使が許されるものではない。それは法治国家の原則である。しかし、政府の声明が、その大本にある中国側の数々の条約違反と国家主権の侵害を棚に上げ、あたかも国内の一個人の行動のみを問題視するかのような印象を与えるのであれば、それは本末転倒と言わざるを得ない。国民の間に溜まった中国への怒りと、自国政府への不信感を、さらに増幅させるだけだろう。
外交における「相互主義」という原則はどこへ行ったのか。なぜ日本だけが、一方的に「品行方正な優等生」でいなければならないのか。中国が国際法を公然と踏みにじり、外交関係の根幹を揺るがす行為を続けているにもかかわらず、日本はただひたすら耐え忍び、自国民の行動にのみ「遺憾」を表明する。これでは、主権国家としての矜持を疑われても仕方がない。
木原副長官の言葉は、残念ながら「事なかれ主義」の域を出ない、あまりに弱腰なものに聞こえる。政府が今なすべきは、国内の法遵守を語るのと同時に、あるいはそれ以上に、中国政府に対して以下の点を厳しく、そして明確に要求することだ。
一、在中国の日本公館、および全邦人の安全確保を、中国政府の責任において即時かつ完全に行うこと。
二、科学的根拠に基づかない、ALPS処理水に関する全てのネガティブキャンペーンを即刻中止すること。
三、一連の嫌がらせ行為について、日本政府と日本国民に謝罪すること。
国民が政府に求めているのは、このような毅然とした態度である。自国民の生命と財産、そして国家の名誉を守ることこそ、政府の最も重要な責務だ。その責務を果たす気概も示さずして、ただ「遺憾」と繰り返すだけの政府に、国民の信頼が集まることはないだろう。今回の事件は、日本外交が抱える根深い問題を、改めて我々に突きつけている。
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