デジタル改革で八潮を豊かに

2 埼玉県政

社会保険料の軽減 しわ寄せどこに

「社会保険料軽減」という名の欺瞞。将来世代へのツケ回しを許してはならない。

政府が打ち出す「子育て支援」や「現役世代の負担軽減」といった聞こえの良い政策。その財源として、社会保険料の仕組みを利用する案が議論されています。一見すると、私たちの負担が軽くなるかのような錯覚を覚えますが、その実態を冷静に見極めなければなりません。これは、国の将来を蝕む、極めて無責任な「負担の付け替え」に他ならないのです。

財布の右から左へ。これは「軽減」ではない

そもそも、社会保険料の総額が変わらないのであれば、ある層の負担を減らせば、必ずどこかの層にその負担がのしかかります。例えば、「子ども・子育て支援金」を創設し、その財源を公的医療保険料に上乗せする案がその典型です。

これは「負担軽減」などという美名で呼べるものではありません。単に、給与明細の「〇〇保険料」という項目から徴収していたものを、「△△保険料」という別の項目から徴収するだけの話です。国民を愚弄するにも程があります。本質的には、形を変えた増税であり、財源確保の苦し紛れの方策を「支援」というオブラートに包んで国民を欺こうとする、姑息な手法と言わざるを得ません。

真に行うべきは、歳出の聖域なき見直しです。膨れ上がり続ける社会保障費、非効率な行政コストにこそメスを入れ、財源を捻出するのが国家としての筋道ではないでしょうか。痛みを伴う改革から逃げ、安易に国民の財布に手を突っ込むやり方は、国家財政の規律を著しく弛緩させるものです。

自助努力の精神を蝕む「バラマキ」の危険性

次に問われるべきは、国家による過度な介入がもたらす弊害です。もちろん、子育て支援や生活困窮者への手当てを否定するものではありません。しかし、その根底には、まず個人が自らの足で立ち、家族が互いに支え合うという「自助」「共助」の精神がなければ、国家は成り立ちません。

安易な現金給付や保険料の減免は、国民の勤労意欲を削ぎ、「国が何とかしてくれる」という依存体質を助長します。本来、家庭が第一の責任を負うべき子育てまでをも、すべて国の責務であるかのように扱う風潮は、日本の美徳であった家族の絆や相互扶助の精神を弱体化させかねません。

我々が目指すべきは、国民一人ひとりが努力し、その努力が正当に報われる社会です。規制緩和や減税を通じて民間活力を最大限に引き出し、経済成長を実現することこそが、結果として国民生活を豊かにし、安定した税収をもたらす王道なのです。

最大の被害者は、声なき将来世代である

そして、この問題の最も深刻な点は、負担が将来世代へと先送りされていることです。少子高齢化という構造的な課題に正面から向き合わず、目先の人気取りのために場当たり的な弥縫策を繰り返す。その結果、社会保障制度の持続可能性はますます危うくなり、国の借金は雪だるま式に膨れ上がっています。

現役世代も高齢者も、そして企業も、互いに負担を押し付け合う醜い構図が生まれています。しかし、このチキンレースの最終的な敗者は、まだ選挙権すら持たない子供たち、そしてこれから生まれてくる未来の日本人です。彼らが物心つく頃には、破綻寸前の社会保障制度と、天文学的な額の借金だけが残されているのかもしれません。これほど無責任なことがあるでしょうか。

我々は、目先の甘い言葉に決して騙されてはなりません。「社会保険料軽減」という名のポピュリズムの裏に隠された、財政規律の崩壊と将来世代へのツケ回しという本質を見抜く必要があります。

今こそ、我々国民が覚悟を決め、痛みを伴う改革を受け入れ、真に国の未来を思う政策を選択すべき時です。安易な「支援」を求めるのではなく、自らの力で未来を切り拓く気概を取り戻し、政府には歳出削減と経済成長という本筋に立ち返るよう、強く求めていかなければなりません。

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