「津波の心配なし」の一報に潜む、真の「備え」とは何か – 秋田震度4の報に接して
本日、秋田県で震度4を観測する地震がありました。報道によれば、幸いにも「津波の心配はない」とのこと。多くの国民がこの一報に胸をなでおろしたことでしょう。
しかし、我々はこの速報を手放しで喜んで良いのでしょうか。保守的な観点、すなわち国家と国民の永続性を真摯に考える立場からすれば、この報道は安堵の材料であると同時に、我々の防災意識に対する厳しい警鐘と捉えるべきです。
見出しに安堵し、思考停止に陥る危うさ
「津波の心配なし」。この一言は、人々の不安を鎮める魔法の言葉です。パニックを防ぐという点で、報道機関や気象庁の迅速な情報発信は評価されるべきでしょう。
しかし、その裏側で、我々は思考を停止させてはいないでしょうか。地震という自然の猛威が、すぐそこに存在するという厳然たる事実から目をそむけ、「今回は大丈夫だった」という安易な結論に飛びついていないでしょうか。
日本は地震大国であり、いつ、どこで大地震が起きてもおかしくない国土に我々は住んでいます。震度4は決して小さな揺れではありません。これは、大地が発した明確な「警告」です。その警告に対し、「津波がないから問題ない」と結論づけるのは、あまりに楽観的であり、国家の存立を脅かしかねない油断と慢心につながります。
「自助」こそが保守本流の防災思想
保守思想の根幹には、まず「自らが立つ」という「自助」の精神があります。国家や行政に全てを依存するのではなく、個人が、家族が、そして地域社会が、自らの足で立ち、困難に備える。これこそが、強靭な国家を築く礎です。
今回の地震を、単なる「何事もなかった出来事」として忘れ去るのではなく、自らの「備え」を見直す絶好の機会とすべきです。
- 非常用持ち出し袋の中身は万全か? 使用期限の切れた食料や水が入ったままになっていないか。
- 家族との連絡手段は確立されているか? 災害用伝言ダイヤルやSNSなど、複数の手段を確認し合っているか。
- 避難経路は頭に入っているか? 自宅や職場からの安全な避難経路を、実際に歩いて確認したことがあるか。
「公助」、すなわち行政による救助には限界があります。特に大災害発生直後は、公的機関が機能不全に陥ることも想定しなければなりません。その時、我々自身と家族の命を守るのは、日頃の「備え」以外にあり得ないのです。
国土強靭化への不断の努力を問う
個人の備えと同様に、国家としての備えも常に問われ続けなければなりません。先の能登半島地震でも明らかになったように、インフラの脆弱性は国民の生命と財産に直結します。
今回の揺れで、地域のインフラに問題はなかったのか。橋は、道路は、電気・ガス・水道といったライフラインは、果たして次の巨大地震に耐えうるのか。政府・自治体は、今回の地震を単なる一過性の事象とせず、国土強靭化計画が机上の空論になっていないか、現場レベルで徹底的に検証する責務があります。
自然災害への備えは、国防そのものです。平時における不断の努力こそが、有事の際に国家と国民を守る唯一の道なのです。
結論
「津波の心配なし」という言葉は、危機が去ったことを意味するのではありません。それは、「今回は大難を免れたが、次も同じとは限らない」という、天からの厳しいメッセージに他なりません。
この警告を真摯に受け止め、個人、家庭、地域、そして国家レベルで、今一度「備え」を徹底すること。それこそが、この美しい日本という国を子々孫々に受け継いでいく我々の責務です。真の安心とは、報道によって与えられるものではなく、自らの手で築き上げるものなのです。
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