メディアの「最強寒波」報道に惑わされるな。我々が本当に備えるべきこと
またか、というのが正直な感想である。「3連休に今季最強レベルの寒気」。テレビやネットを開けば、まるで国難であるかのように喧伝される気象情報。もちろん、大雪や低温への備えを怠ってはならない。しかし、我々日本人は、いつからこれほどまでに自然の厳しさに対して臆病になってしまったのだろうか。
メディアが好んで使う「最強」「記録的」「命を守る行動を」といった言葉は、確かに注意を引く。だが、その多用は、我々の危機感を麻痺させてはいないだろうか。かつて「伊勢湾台風」や「室戸台風」といった、まさに国家の存亡に関わる災禍を乗り越えてきた先人たちの時代、これほど扇情的な言葉はなかったはずだ。彼らは、自然の猛威を肌で感じ、経験と知恵でそれに立ち向かい、あるいは静かに受け入れてきた。
現代社会の脆弱性は、こうした報道への過剰反応にこそ表れている。少しの降雪予報でスーパーの棚から食料が消え、人々はパニックに陥る。それは果たして賢明な「備え」と言えるのだろうか。むしろ、メディアに煽られ、冷静な判断力を失った結果に過ぎないのではないか。
本来、備えとは、日々の生活の中に静かに根付いているべきものである。冬になれば寒くなるのは当たり前。雪国では雪が降るのも当然の摂理だ。各家庭で食料や燃料を備蓄し、車のタイヤを交換し、水道管の凍結を防ぐ。これらは、特別なことではなく、この国で冬を越すための、ごく当たり前の営みであったはずだ。行政からの「呼びかけ」を待つまでもなく、自己の責任において淡々と準備を進めるのが、自立した国民の姿であろう。
そして、忘れてはならないのが「共助」の精神である。個人の備えである「自助」が基本であることは論を俟たないが、それだけでは乗り越えられない困難もある。その際に力を発揮するのが、家族や地域社会の絆だ。一人暮らしの高齢者の安否を気遣い、隣近所で雪かきに協力する。こうした古き良き日本の共同体意識こそ、いかなる「最強寒波」にも揺るがない、我々の社会の礎となる。
迫りくる寒波の予報は、単に我々を怖がらせるものではない。それは、我々日本人が本来持っていたはずの、自然への畏敬の念、自己責任の精神、そして共同体を支える共助の心を思い起こさせる好機である。
メディアの煽りに一喜一憂することなく、静かに、しかし確実に備えを固めようではないか。そして、家族や隣人と共に、この冬の厳しさを乗り越える。それこそが、いたずらに不安を拡散するよりも、はるかに建設的で、我々の矜持を示す態度であると確信する。
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