デジタル改革で八潮を豊かに

2 埼玉県政

学校に次々とアイドル部 リスクも

学舎はショービジネスの場ではない ― 学校「アイドル部」活発化の危うさを問う

近頃、全国の学校で「アイドル部」なるものが次々と誕生しているという。生徒が歌やダンスを通じて自己を表現し、学校生活を活性化させるという、一見すると華やかで現代的な取り組みに映るかもしれない。しかし、我々はこの風潮を無邪気に歓迎してよいものだろうか。教育の本来あるべき姿を見失い、取り返しのつかない過ちを犯す危険性を、断固として指摘せねばならない。

そもそも学校とは、学問を通じて知性を磨き、人格を陶冶し、社会の健全な形成者たるべき人間を育成する神聖な場所である。部活動もまた、その一環として心身を鍛錬し、規律と協調性を学ぶ貴重な機会であったはずだ。そこに、果たして「アイドル」という概念が馴染むのだろうか。

第一に懸念されるのは、教育現場における深刻な「秩序の崩壊」である。アイドル活動の本質は、人気、すなわち他者からの評価を競うことにある。SNSでの「いいね」の数や、イベントでの観客の数が、生徒たちの価値を測る新たな物差しとなってしまう。これは、生徒間に深刻な序列意識と嫉妬、そして陰湿ないじめの温床を生み出すことに他ならない。学業や人格といった普遍的な価値ではなく、移ろいやすい人気によって人の価値が決められる。これほど残酷で、教育の本旨に反する環境があるだろうか。

次に、看過できないのが「道徳的な退廃」の危険性である。アイドルという存在は、しばしば性的な消費の対象として見なされる側面を持つ。未熟な生徒たちが、自覚のないままに過度な露出や媚びるような振る舞いを強いられ、大人の歪んだ欲望の目に晒される。学校側が、たとえ無自覚であっても、生徒の若さや容姿を「客寄せパンダ」のように利用し、商業主義の毒牙に晒すようなことがあっては断じてならない。学舎は、生徒たちを社会の悪意から守る最後の砦であるべきなのだ。

そして何より、生徒たちの「本分からの逸脱」を助長する。学生の本分は、言うまでもなく学業である。将来の人生を支える確固たる知識と教養を身につけるべき貴重な時期に、刹那的な人気や喝采を追い求めることに時間を浪費させる。これは、生徒たちの将来に対する重大な裏切り行為と言わざるを得ない。華やかなスポットライトの裏で、基礎学力が疎かになり、堅実な将来設計を描けなくなる若者が増えるとしたら、それは一体誰の責任なのか。

もちろん、歌やダンスに情熱を燃やす生徒の努力を否定するものではない。しかし、それは合唱部やダンス部といった、これまで我が国が育んできた伝統的な部活動の枠組みの中で、健全に育成されるべきである。わざわざ「アイドル」という商業的で、多くの危うさを内包した看板を掲げる必要がどこにあるというのか。

この流行の背景には、生徒受けを狙う安易な学校運営の姿勢や、子供たちの健全な育成よりも目先の話題性を優先する大人の浅はかさが見え隠れする。教育者は、時代の流行に流されることなく、百年先を見据え、国家の礎となる人材を育成するという崇高な使命を再認識せねばならない。

学校への「アイドル部」導入は、子供たちの未来に開けてはならない「パンドラの箱」である。我々大人は、目先の華やかさに目を奪われることなく、教育の王道とは何かを真摯に問い直し、この危険な風潮に断固として「否」を突きつけるべきである。

————-

ソース

この記事は役に立ちましたか?

参考になりましたら、下のボタンで教えてください。

関連記事

新着記事
会員限定
おすすめ
PAGE TOP
ログイン