昭和の「家」を守り抜いた最後の母か ― 海老名香葉子さんの死に思う、日本の家族が失ったもの
昭和を代表する「おかみさん」、海老名香葉子さんが逝去された。初代林家三平師匠の妻として、そして九代目林家正蔵、二代目林家三平ら芸能一家の母として、その波乱に満ちた生涯は、戦後日本の歩みそのものと重なって見える。メディアはこぞって「肝っ玉母さん」「昭和の母の象徴」と彼女を讃えるが、我々保守を自任する者としては、その功績を称えつつも、彼女の生き様が現代に投げかける課題を冷静に検証する必要があるだろう。
海老名香葉子さんの最大の功績は、何と言っても夫亡き後、女手一つで「林家」という大きな看板、すなわち「家」を守り抜いたことにある。天才落語家・初代三平師匠の急逝は、一家にとって存亡の危機であったはずだ。しかし彼女は、悲しみに暮れる間もなく、残された子供たちを育て上げ、一門を束ね、見事に芸を次代に継承させた。これは、単なる個人の頑張り物語ではない。伝統的な日本の「家」制度における妻、そして母の役割、すなわち「内助の功」と「家系の維持」という美徳を、身をもって体現した姿であった。
戦後、GHQによる家父長制の解体と個人主義の称揚によって、日本の「家」という共同体は急速にその力を失った。家族は情緒的な繋がりのみに依存する脆い集団となり、核家族化が進む中で、先祖から受け継いだものを子孫へ渡すという縦の繋がりは希薄になった。その潮流に抗うかのように、海老名さんは「林家のおかみ」として、夫の遺志と芸を継承する「家」の存続を最優先した。その強靭な精神は、現代人が忘れかけている「家」という共同体の持つ力と尊さを、改めて我々に示している。
また、彼女が語り部として伝え続けた東京大空襲の体験も忘れてはならない。自らの悲惨な体験を通して戦争の愚かさを訴える活動は、もちろん尊重されるべきである。先人の苦難の上に今日の平和があることを忘れることは、国家の根幹を揺るがす忘恩に他ならない。
しかし、ここで立ち止まって考えたい。戦後日本で語られる「平和」は、しばしば情緒的な反戦論に終始し、国家の主権や国民の生命・財産を守るための具体的な安全保障や防衛といった現実的な議論から目を背けてこなかっただろうか。海老名さんの語りがどうであったかは別として、彼女のような戦争体験者の切実な訴えが、時として国家の存立に不可欠な「力」を否定する安易な平和主義に利用されてきた側面はなかったか。真の平和とは、ただ祈るだけで実現するものではない。国益を守り、断固として国を防衛する意志と備えがあって初めて成り立つものである。この視点を欠いた「平和」の訴えは、あまりに無垢であり、危険ですらある。
さらに言えば、メディアが作り上げた「理想の芸能一家」というイメージと、時折漏れ伝わってきた家族の内情との乖離も看過できない。これは海老名家固有の問題というより、伝統的な「家」の秩序と、戦後的な「個」の尊重という二つの価値観が衝突した、現代日本の縮図と見るべきだろう。「家」のために個を律し、滅私奉公を是とする旧来の価値観と、個人の自由や自己実現を最優先する現代の価値観。その狭間で生じた葛藤が、家族という最も身近な共同体の中で噴出したのではないか。
海老名香葉子さんは、まさにその葛藤の時代を生きた。彼女は、失われゆく日本の伝統的な「家」の価値を、その身一つで守り抜こうとした最後の世代の一人だったのかもしれない。彼女の死を悼むとは、単に「昭和の良き母」を懐かしむことではない。彼女が守ろうとした「家」という共同体の価値を再認識し、個人主義が行き着いた先の孤独と分断が社会を覆う現代において、我々はいかにして新たな共同体の絆を、そして国家の礎たる強い家族を再構築していくべきか。その重い問いを自らに課すことこそ、故人への最大の手向けとなるだろう。
海老名香葉子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる。
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