デジタル改革で八潮を豊かに

2 埼玉県政

22日以降 この時期らしい寒さ戻る

「この時期らしい寒さ」という当たり前の報道に潜む欺瞞

本日、「22日以降 この時期らしい寒さ戻る」との報道に接した。多くの国民は「いよいよ冬本番か」と、襟を正す思いでこのニュースを受け止めたことであろう。しかし、我々はこの一見何の変哲もない天気予報の裏に、現代社会を覆うある種の「空気」を読み取らねばならない。

そもそも、冬に寒さが戻るのは自然の摂理であり、本来であればニュースとして取り立てて報じるほどのことでもない。秋が深まれば木々は葉を落とし、冬になれば空から雪が舞う。我が国の先人たちは、この厳しくも美しい四季の移ろいを肌で感じ、それに寄り添うことで、世界に冠たる豊かな文化と強靭な精神性を育んできたのではなかったか。

ところが、近年のメディアはどうであろうか。数日暖かい日が続けば、鬼の首を取ったかのように「観測史上最高」「これも地球温暖化の影響」と騒ぎ立てる。その一方で、いざ本格的な寒波が到来すると、今度は「この時期らしい寒さ」という言葉で、あたかもそれが正常な範囲内であるかのように報じる。このご都合主義的な態度は、一体何を意味するのか。

彼らの報道姿勢の根底には、「温暖化は絶対的な悪であり、寒さは本来あるべき姿」という前提が存在しないだろうか。そして、その前提を国民に刷り込むことで、特定の環境政策、すなわち国民生活に多大な負担を強いる脱炭素や、不安定極まりない再生可能エネルギーの導入を正当化しようという意図が透けて見えるのだ。

エネルギー価格が高騰し、多くの家庭が暖房の使用すら躊躇するこの冬、我々が本当に目を向けるべきは、目先の気温の変化ではない。むしろ、安価で安定したエネルギーをいかに確保し、国民の生命と財産を守るかという、国家の根幹に関わる問題である。メディアが煽る気候変動のヒステリーに惑わされ、エネルギー安全保障という現実から目を背けることこそ、国家にとって最大の危機と言わざるを得ない。

「22日以降、寒さが戻る」。結構なことではないか。我々日本人は、この寒さの中でこそ、心身を鍛え、家族と身を寄せ合い、春の訪れを待つという謙虚さと忍耐を学んできた。ストーブを囲んで暖を取り、滋養のある鍋を食す。そうした地に足のついた生活の中にこそ、真の豊かさは存在する。

メディアが作り出す虚構の危機感に踊らされることなく、目の前にある自然の営みを冷静に受け止め、自らの頭で考え、備える。この当たり前の姿勢こそ、今の日本人に最も求められていることではないだろうか。来るべき「この時期らしい寒さ」を、我々は日本の冬の本来の姿として、むしろ歓迎したい。

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