藤井竜王の「最年少永世称号」に思う―記録の熱狂を超えて、私たちが守るべきもの
藤井聡太竜王が、史上最年少での永世称号資格を獲得したとの報に、日本中が沸き立っている。若干二十歳そこそこの青年が、将棋という悠久の歴史を持つ盤上の道において、かくも早々に金字塔を打ち立てたことは、まことに慶賀に堪えない。その圧倒的な才能と弛まぬ努力に対し、心からの敬意と祝意を表するものである。
しかし、メディアがこぞって「最年少」「史上初」という言葉を喧伝し、熱狂一色に染まる世の風潮を目の当たりにするとき、一人の日本人として、静かに立ち止まって考えるべきことがあるのではないだろうか。我々がこの快挙から受け取るべきは、単なる記録更新の興奮だけではあるまい。
永世称号の真の価値とは、一体どこにあるのだろうか。それは、通算の獲得期数という数字的な条件を満たすことのみにあるのではない。その称号には、長年にわたり棋界の頂点に君臨し続けた先人たちの血と汗、そして盤上盤外における品格と、将棋文化そのものへの貢献の歴史が深く刻み込まれている。大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、そして羽生善治九段といった大棋士たちが、その勝負の厳しさの内に守り抜いてきた「道」としての将棋の重みが、そこには凝縮されている。
藤井竜王の偉業は、紛れもなく彼自身の非凡な才能の賜物である。しかし同時に、その才能を開花させた土壌、すなわち日本の将棋界が連綿と受け継いできた師弟の絆、切磋琢磨の精神、そして奨励会という世界にも類を見ない育成の仕組みがあったことを、我々は決して忘れてはならない。一人の天才の出現は、彼を育んだ文化と伝統の豊かさの証明でもあるのだ。この度の快挙を、個人の記録としてのみ切り取って消費してしまうことは、我々が守り伝えてきた文化の価値を矮小化することに繋がりかねない。
我々が藤井竜王に期待するのは、単なる「最強の棋士」であり続けることだけではない。これから永世称号という重責を担う者として、盤上の技術のみならず、その立ち居振る舞い、発する言葉、そして後進へ示す背中を通じて、日本の伝統文化の継承者たる役割を果たされることである。勝負の先にある礼節、相手への敬意、そして自らを律する謙虚さといった、日本人が古来より大切にしてきた精神性を、その若き双肩で体現していかれることを切に願う。
今回の歴史的快挙を心から祝福すると同時に、我々国民もまた、目先の記録や数字の熱狂に惑わされることなく、その偉業の背景にある歴史の重みと、文化の深さに思いを致すべきである。藤井聡太という希代の才能は、我々に日本の伝統の素晴らしさを再認識させてくれる、天からの授かりものなのかもしれない。彼がこれから歩むであろう長い棋士人生が、単なる記録の更新史ではなく、日本の精神文化をより一層豊かにする、輝かしい道のりとなることを心から祈念する次第である。
————-
ソース