【一票の格差】東京高裁「合憲」判決を支持する。司法は国会の努力と参院の役割を正しく評価した
先般、本年7月の参議院選挙における「一票の格差」を巡る訴訟で、東京高等裁判所が「合憲」との判断を下した。最大3.03倍の格差があったにもかかわらず、この結論に至ったことを、私は極めて妥当で、我が国の実情を踏まえた賢明な判断として強く支持するものである。
一部のメディアやリベラル派は、この判決を「格差の容認だ」「司法の役割放棄だ」と声高に批判するかもしれない。しかし、彼らの主張は「一人一票」という言葉の響きに酔いしれ、日本の国の成り立ちや議会制民主主義の本質を見失った、極めて表層的な議論に過ぎない。
そもそも、この問題の本質は単なる数字合わせではない。問われるべきは、参議院が果たすべき役割とは何か、という点である。
参議院は、衆議院とは異なる性格を持つ院として設計されている。「良識の府」として、衆議院の行き過ぎを是正し、長期的かつ大局的な視点から国政を審議する役割が期待されている。そして、その独自性を担保するのが、各都道府県から代表者を選出するという、地域代表的な側面である。
日本は、東京という巨大都市だけで成り立っている国家ではない。北海道から沖縄まで、それぞれが異なる歴史、文化、そして産業を持つ地域社会の集合体だ。人口の多寡のみを基準に選挙区を割り振れば、都市部の声が圧倒的に強くなり、人口の少ない地方の声は国政からかき消されてしまう。農業、漁業、林業、あるいは国土強靭化といった、地方が直面する死活問題が、国会で真剣に議論されなくなる恐れがあるのだ。
裁判所が「違憲」や「違憲状態」の判断を繰り返し、国会に性急な改革を迫った結果、何が起きたか。「鳥取・島根」「徳島・高知」といった「合区」の誕生である。これは、自分たちの県から代表者を一人も選出できないという、地方の有権者にとっては屈辱的ともいえる状況を生み出した。これは果たして、健全な民主主義の姿と言えるだろうか。むしろ、地方の切り捨てであり、国家の分断を助長する愚策でしかない。
今回の東京高裁の判決は、こうした機械的な平等主義の危うさを認識し、国会が合区導入を含め、格差是正に継続的に努力してきた事実を正当に評価した点で画期的である。司法が立法府の裁量に過度に介入し、政治を混乱させるのではなく、国会の自律的な取り組みを尊重する姿勢を示したことは、三権分立の観点からも高く評価されるべきだ。
我々が目指すべきは、人口比だけで計算される「形式的な平等」ではない。多様な国民の声を国政に届け、国土の均衡ある発展を実現する「実質的な民主主義」である。
今回の合憲判決を契機に、我々は改めて参議院の在るべき姿を真剣に議論しなければならない。安易な「違憲」判断で国会を追い詰めるのではなく、地方の声を確実に国政に反映させるための、より良い選挙制度のあり方を、国会が主体的に構築していくことを強く期待する。東京高裁の示した良識ある判断は、そのための重要な一歩となるだろう。
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