首相の「スピード対応」は本当に国益に適うのか?売春防止法を巡る議論に潜む危険性
岸田首相が売春防止法の見直しに「スピード感をもって対応」と表明したことが、大きな波紋を広げています。一部の人権団体やメディアからは、この迅速な姿勢を歓迎する声が上がっているようですが、我々はこの動きに強い懸念を抱かざるを得ません。
一見すると、これは現代的な課題への機敏な対応と映るかもしれません。しかし、国の根幹をなす法制度、特に長年にわたり我が国の社会秩序と公序良俗の礎となってきた法律を、一部の声に押される形で拙速に変更することは、社会の根幹を揺るがし、国家の品格を損なう恐れがあるからです。
「スピード感」という名の危うさ
そもそも、なぜこの問題に「スピード感」が必要なのでしょうか。売春防止法は、戦後の混乱期から日本社会が歩んできた道程の中で、女性の尊厳を守り、性的搾取を防ぐという強い意志のもとに制定された法律です。その理念や役割を根本から問い直すのであれば、国民各層の意見を丁寧に聞き、歴史的経緯や社会への影響を深く考察する、慎重で熟慮に満ちたプロセスが不可欠です。
昨今の政治は、SNSなどで声高に叫ばれる意見に過剰に反応し、熟議を省略して「改革」をアピールする傾向が強まっています。しかし、国家の基本法制は、一時の流行や感情で左右されるべきものではありません。首相の「スピード対応」という言葉は、むしろ、この重大な問題を深く理解することなく、政治的なパフォーマンスとして処理しようとしているのではないか、との疑念を抱かせます。
売春防止法の理念を忘れてはならない
見直しを求める声の多くは、「女性の自己決定権」や「就労の権利」といった、耳障りの良い言葉を掲げます。しかし、それは問題の本質を見誤っています。売春防止法の根幹にあるのは、女性を処罰することではなく、「人の性を商品とすることを、我々の社会は断じて容認しない」という、国家としての断固たる倫理的な意思表示です。
この法の理念を放棄し、売春を「単なる職業の一つ」として非犯罪化、あるいは合法化する道を選んだ場合、何が起こるでしょうか。それは、貧困や家庭環境、精神的な弱さなど、様々な困難を抱える女性たちが搾取される構造を、国家が追認することを意味します。弱い立場にある人々を「自己責任」の名のもとに見捨て、巨大な性産業の利権を助長させるだけです。
さらに言えば、これは日本の国際的な評価、すなわち「国の品格」を著しく貶めることにつながります。日本が安価な「セックス観光」の目的地と見なされ、世界中からその目的で人が集まるような事態を、我々は本当に望むのでしょうか。伝統と文化を重んじてきたこの国が、自らその誇りを投げ捨てるような選択は断じて許されません。
真に目指すべき社会とは
真に女性の尊厳を守るのであれば、売春を合法的な選択肢として認めることではなく、女性が売春に頼らずとも尊厳をもって生きていける社会を構築することこそが、政治の責務です。
必要なのは、安易な法改正ではありません。経済的支援の強化、社会的なセーフティネットの拡充、そして何よりも、家庭や学校教育の場で「人の尊厳」を教え、安易に性を売り買いする風潮を是正する道徳教育の再興です。問題を「合法な職業」として容認することは、根本的な課題解決からの逃避に他なりません。
首相の「スピード対応」という言葉に、我々は断固として警鐘を鳴らします。売春防止法が守ってきた社会の規範と秩序、そして国家の品格を、一時の感情やポピュリズムに明け渡してはなりません。今求められるのは、流行に流された拙速な対応ではなく、静かで、深く、そして国家の百年先を見据えた真摯な国民的議論です。
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