篠原勝之氏の「アバヨ」に見る、日本人の死生観の光と影
芸術家、タレント、作家と、多彩な顔で時代を駆け抜けた篠原勝之氏が、79歳でこの世を去りました。報道によれば、その最期の朝、彼は「アバヨ」という一言を残して旅立たれたとのこと。多くの人々が、氏の破天荒な生き様を象徴する、実に彼らしい最期だと称賛の声を寄せています。
その潔い言葉に感銘を受ける一方で、私はこの「アバヨ」という一言が、現代日本人の死生観、そして我々が失いつつある何かを象徴しているように思えてなりません。本日は、篠原勝之という稀代の人物の死を通して、我々が大切にすべき価値観について考えてみたいと思います。
昭和という時代の「生命力」の体現者
まず何よりも、篠原氏の生き様そのものが、戦後の日本が持っていた強烈な「生命力」の塊であったことは間違いありません。焼け跡から立ち上がり、がむしゃらに働き、作り、そして生きた世代のエネルギー。常識や権威に臆することなく、自らの感性だけを頼りに道を切り拓いていく姿は、閉塞感に満ちた現代に生きる我々にとって、眩しく映ります。
彼の芸術も生き方も、既存の型にはまることを良しとしない、まさに「独立自尊」の精神の表れでした。それは、社会のルールに従うことだけが美徳とされる風潮の中では、異端に見えたかもしれません。しかし、個として確立し、何ものにも頼らずに立つという気概は、本来、我々日本人が尊ぶべき精神性の一つであったはずです。その意味で、篠原氏が体現した力強さは、称賛されるべきものでしょう。
最期の言葉「アバヨ」が映すもの
そして、最期の言葉「アバヨ」。この一言に、人生をやりきった男の満足感と、死を前にしてもなお失われない洒脱さを感じ取り、見事な引き際だと賞賛する声が多数を占めています。確かに、死を前にして狼狽えることなく、湿っぽさも見せず、軽やかに別れを告げる態度は、ある種の武士道的な美学にも通じる「潔さ」と言えるかもしれません。
しかし、この言葉の持つ「軽やかさ」に、一抹の危うさを感じるのは私だけでしょうか。
我々日本人が古来、大切にしてきた死生観の中には、常に家族や共同体への眼差しがありました。自らの命が、親から授かり、子へと受け継がれていく大きな流れの一部であるという認識。そして、人生の終焉にあたっては、これまで自分を支えてくれた人々への感謝の念を捧げ、残される者たちの行く末を案じるのが、人の道とされてきました。
「アバヨ」という言葉は、極めて個人的な完結の言葉です。そこからは、家族への感謝や、次の世代へ何かを託そうとする想いを読み取るのは難しい。もちろん、言葉にしなかっただけで、心の中には万感の想いがあったのかもしれません。しかし、公に伝わった最期の言葉がこれであったという事実は、個人主義が浸透した現代日本の、一つの象徴的な風景に見えます。
すべてが「個」に還元され、人との繋がりや家系の歴史といった、より大きな物語が失われていく。その果てにある死が、誰に感謝するでもなく、誰に何かを託すでもなく、「アバヨ」の一言で完結してしまうのだとしたら、それは少し寂しいことではないでしょうか。
我々が受け継ぎ、見つめ直すべきもの
篠原勝之氏の生き様と死に様は、現代の我々に大きな問いを投げかけています。我々は、彼が持っていたような、逆境をものともしない強靭な「生命力」と「独立心」を取り戻さなければなりません。他人の目や社会の評価ばかりを気にして、小さくまとまってしまうのではなく、自らの信じる道を切り拓く気概が必要です。
しかし同時に、我々は個人として生きているだけではなく、家族、地域、そして国家という共同体の一員であることを忘れてはなりません。自らの生が、無数の先人たちから受け継いだものであり、そして未来へと繋いでいくべき尊い襷(たすき)であることを、今一度思い起こす必要があります。
篠原勝之氏の冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、氏が最後に残した「アバヨ」という短い言葉を、我々自身の生き方、そして死生観を見つめ直すための、重い問いとして受け止めたいと思います。
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