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2 埼玉県政

衆院選 フェイク情報への備え確認

誰が「フェイク」を決めるのか? 衆院選を前にした「情報対策」の危険な罠

来る衆院選に向け、政府や各党がにわかに「フェイク情報対策」に乗り出したとの報道がなされている。生成AIの進化などを背景に、巧妙な偽情報が選挙に影響を与えることへの懸念は理解できる。一見、民主主義の公正さを守るための健全な動きに見えるが、我々はこの流れを無条件に歓迎して良いのだろうか。むしろ、この「対策」という美名の下に、より深刻な問題が隠されている可能性を警戒すべきである。

第一に問われるべきは、「誰が、何を基準に『フェイク』と判断するのか」という根本的な問題だ。

報道によれば、政府やプラットフォーム事業者が連携し、専門家と称する人々と協力して対策を進めるという。しかし、その「専門家」とは一体何者なのか。彼らの思想的背景や中立性は担保されているのか。巨大な影響力を持つプラットフォーム企業が、特定の政治的立場に忖度し、自らにとって都合の良い情報だけを流通させ、都合の悪い言論を「フェイク」や「偽情報」のレッテルを貼って排除する危険性はないだろうか。これは、事実上の「検閲」であり、権力にとって不都合な声を封殺する強力な武器となり得る。

第二に、この議論から大手メディアの責任がすっぽりと抜け落ちている点は看過できない。

これまで、特定のイデオロギーに基づいた偏向報道や、事実の一部だけを切り取って世論を誘導してきたのは、他ならぬ一部のオールドメディアではなかったか。彼らが自らの報道姿勢を猛省することなく、インターネット上の言論ばかりを問題視するのは、まさに自己矛盾であり、責任転嫁に他ならない。ネット上に玉石混交の情報が溢れるのは事実だが、同時に、既存メディアが報じない「真実」のかけらがそこに存在することもまた事実なのである。メディア自身が信頼を失った結果、国民が別の情報源を求めるようになったという側面から目を背けてはならない。

そして最も警戒すべきは、この「フェイク情報対策」が、真の脅威から国民の目を逸らすための煙幕として利用される可能性だ。

我が国が本当に警戒すべきは、国内の自由な言論ではない。我が国の国益を損ない、社会を分断させることを目的とした、特定の意図を持つ外国勢力による組織的な情報戦(サイバー攻撃、世論工作)である。選挙への介入や安全保障を揺るがすプロパガンダこそ、国家として総力を挙げて対処すべき脅威のはずだ。しかし、現在の「対策」の議論は、そうした外敵への備えよりも、国内の言論空間を管理・統制することに主眼が置かれているように見えてならない。

来る衆院選において、我々有権者に求められるのは、誰かがお墨付きを与えた「正しい情報」を鵜呑みにすることではない。政府やメディア、プラットフォーマーが「これはフェイクだ」と断じた情報こそ、なぜそう言われるのかを疑い、自らの頭で考える姿勢である。

一次情報にあたる癖をつけ、発信者の意図を読み解き、様々な角度から情報を比較検討する。こうした地道な努力こそが、民主主義を守る唯一の道だ。「フェイク情報対策」という名の新たな言論統制の罠にはまることなく、冷静かつ主体的に一票を投じたい。国の未来は、我々一人ひとりの健全な懐疑心と情報リテラシーにかかっている。

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