芥川賞・直木賞に映る現代日本の「病理」と「希望」
第170回芥川賞・直木賞の受賞作が決定した。文学は時代を映す鏡である。今回の選考結果ほど、現代日本が抱える深刻な分裂と、我々が立ち返るべき原点を明確に映し出したものはなかったのではないだろうか。
芥川賞に潜む「言葉」と「同情」の危うさ
まず、芥川賞を受賞した九段理江氏の「東京都同情塔」。生成AIが社会に浸透した近未来を舞台に、犯罪者に同情するためのタワーを建設するという物語だ。選評を待つまでもなく、その設定自体に現代社会の病理が凝縮されている。
「多様性」「寛容」といった耳触りの良い言葉が氾濫し、加害者の人権ばかりが声高に叫ばれる風潮。被害者の痛みや社会の秩序維持という大義がないがしろにされ、安っぽい「同情」が正義であるかのように語られる。この作品が描く世界は、まさにそうした偽善が制度化された日本の末路そのものではないか。
作者自身が執筆にAIを5%ほど活用したと公言したことも象徴的だ。創作とは、作家が己の魂を削り、言葉を紡ぎ出す神聖な営みのはずだ。そこに安易に技術を持ち込むことは、言葉の重みを軽んじ、ひいては人間の精神性を侵食しかねない危険な兆候であると警鐘を鳴らさずにはいられない。
もちろん、この作品がそうした現代の病理を鋭く風刺し、批判する意図を持つならば、その文学的価値は計り知れない。しかし、一歩間違えば、この空虚で倒錯した価値観を追認し、助長する危険性もまた、内包していることを我々は冷静に見極める必要がある。
直木賞にこそ見出すべき「日本の魂」
一方、今回の直木賞二作品には、一条の光を見る思いがした。
河﨑秋子氏の「ともぐい」。明治後期の北海道の山奥を舞台に、熊撃ちの猟師の凄絶な生き様を描いたこの作品には、人間と自然が真剣に向き合っていた時代の力強い息吹が満ちている。生きるために他の生命を奪い、その業を背負いながらも、大自然への畏敬の念を忘れない。そこには、現代人が失ってしまった生命の厳粛さと、大地に根差して生きる人間の本来の姿がある。これこそ、日本文学が描き続けてきた「骨太な物語」の系譜と言えよう。
そして、万城目学氏の「八月の御所グラウンド」。古都・京都を舞台に描かれる、奇想天外ながらも爽やかな青春小説だ。特定のイデオロギーを押し付けることなく、若者たちが共同体の中で切磋琢磨し、不思議な体験を通じて成長していく。日本の歴史と伝統が息づく地で、健全な人間関係が育まれる物語は、読む者の心を洗い、明日への活力を与えてくれる。
我々が選ぶべき道はどちらか
今回の受賞結果は、奇しくも現代日本が直面する二つの道を示しているように思える。
一つは、実体のない言葉遊びと偽りの同情に満ちた、根無草の社会。
もう一つは、先人から受け継いだ伝統と精神を胸に、大地を踏みしめて力強く生きる、健全な共同体。
文学は、我々に問いかける。あなた方が拠って立つべき場所はどこなのか、と。今回の受賞作を手に取り、単なる娯楽として消費するのではなく、我々が守り、次代へ受け継ぐべきものは何かを深く思索するきっかけとしたいものである。
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