「年収の壁」議論の本質を見誤るな!小手先の支援策では国を危うくする
岸田首相が、いわゆる「年収の壁」問題について「議論を深める段階」にあると表明しました。パートタイマーとして働く女性などが、社会保険料の負担が生じる年収106万円や130万円のラインを意識して就業調整を行う、この根深い問題。一見、国民の声に耳を傾ける姿勢は評価できるように思えます。
しかし、その議論の向かう先は本当に正しいのでしょうか。我々保守派として、この問題に潜む本質と、安易な解決策がもたらす国家的なリスクについて、警鐘を鳴らさねばなりません。
1.「壁」は政府が生み出した人工物に過ぎない
まず、大前提として認識すべきは、「年収の壁」とは自然発生したものではなく、社会保険制度や税制といった、政府の制度設計によって人為的に作られた歪みであるという事実です。
昭和の時代に形成された「夫が主たる稼ぎ手、妻は家事と補助的な労働」というモデルを前提とした配偶者控除や第3号被保険者制度。これらが、女性の就労意欲を削ぎ、潜在的な労働力を市場から遠ざけている元凶に他なりません。
問題の本質は、働き手が「壁」を意識することではなく、政府が不公平かつ非効率な「壁」を築いてしまったことにあるのです。
2.補助金という名の「麻薬」に頼る愚
報道によれば、政府内で検討されているのは、壁を超えても手取りが減らないよう、企業に補助金を出すといった対症療法的な案です。これは、断じて許容できません。
なぜなら、それは問題の先送りにしかならないからです。補助金という一時的なカンフル剤で痛みをごまかせば、根本的な制度改革への機運は失われます。税金で歪みを補填する行為は、いわば国民の汗の結晶を、自らが作った制度の欠陥を埋めるために浪費する背信行為です。
さらに、このような場当たり的な支援は、新たな不公平を生み出します。真面目に働き、社会保険料を納めている単身者や共働き世帯から見れば、「なぜ特定の働き方をする人々だけが税金で優遇されるのか」という不満が噴出するのは当然でしょう。これは社会の分断を煽り、勤労意欲そのものを削ぎかねない危険な一手です。
3.保守が示すべきは「自助」を促す公正な制度
我々が目指すべきは、小手先の支援策ではありません。全ての国民が、その意欲と能力に応じて存分に働き、公正に負担を分かち合う社会です。そのために必要なのは、痛みを伴うとしても、抜本的な制度改革に他なりません。
具体的には、第3号被保険者制度の段階的な縮小・廃止、そして配偶者控除の見直しです。もちろん、急激な変更は生活に大きな影響を与えるため、十分な経過措置を設けるべきでしょう。しかし、「いつかはやらねばならない」改革から逃げ続け、補助金という安易な道に逃げることは、将来世代への責任放棄です。
働く時間や形態によって有利・不利が生まれない、ニュートラルな制度を構築する。それこそが、個々人の「自助」の精神を最大限に引き出し、結果として国全体の活力を高める唯一の道です。
結論:目先の喝采より、国家百年の計を
岸田首相が「議論を深める」と言うのであれば、その議論は、補助金のような耳触りの良い弥縫策に向けられるべきではありません。社会保障制度全体の持続可能性、そして国民皆保険の理念をどう維持していくかという、国家の根幹に関わる議論であるべきです。
目先の支持率や選挙目当てで、国民に甘い顔を見せる政治はもう終わりにすべきです。真の保守政治とは、時に厳しい現実を国民に示し、痛みを分かち合いながらも、国家百年の計のために正しい道を歩む覚悟を持つことではないでしょうか。
「年収の壁」の議論は、その覚悟が今の政権にあるのかを測る、重要な試金石となるでしょう。
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