野田元首相の「勇み足」批判に潜む欺瞞~皇統の危機を直視せよ~
先日、野田佳彦元首相が、皇室典範改正を巡る自民党の動きを「勇み足」と批判したとの報道がありました。一見すると、国家の根幹に関わる重要な問題に対し、熟慮を促す冷静な意見のようにも聞こえます。しかし、我々はこの言葉の裏に隠された本質を見誤ってはなりません。この発言は、皇室が直面する喫緊の課題から国民の目を逸らし、議論を再び停滞させようとする、極めて問題のあるものだと断じざるを得ません。
「時間稼ぎ」こそが皇室を追い詰める
まず問いたいのは、皇位継承問題が、もはや一刻の猶予もならぬ状況にあるという現実です。悠仁親王殿下がお生まれになって以降、この十数年間、政治は何をしてきたのでしょうか。本来であれば、安定的な皇位継承を確かなものにするため、速やかに方策を講じるべきでした。それを怠り、問題を先送りし続けてきた結果が、現在の危機的状況を招いているのです。
この期に及んで「静かな環境で」などという美辞麗句を弄するのは、責任ある政治家の態度とは到底言えません。それは議論の先延ばし、すなわち「何もしない」ことの言い訳に他なりません。自民党の対応に段取りの悪さがあったとしても、ようやく重い腰を上げ、この国家的課題に向き合おうとしていること自体を「勇み足」と切り捨てるのは、本末転倒です。むしろ、これまで議論を怠ってきたことこそが、国家的な「怠慢」ではなかったでしょうか。
議論のすり替えを許してはならない
そもそも、野田元首相がかつて何をしようとしていたかを、我々は忘れてはなりません。民主党政権時代、彼が主導したのは「女性宮家」の創設でした。これは、女性皇族がご結婚後も皇室に残り、独立した宮家を立てるという案です。
一見、皇族数の減少に歯止めをかける妙案のように聞こえるかもしれません。しかし、その先にあるのは、歴史上ただの一度も存在しなかった「女系天皇」への道です。女性宮家の当主にお生まれになるお子様は、母方のみが皇統に連なる「女系」となります。その方が皇位を継承されれば、我が国が2600年以上にわたって守り抜いてきた「男系継承」の伝統は、いとも容易く断絶してしまうのです。
野田氏の「勇み足」批判の根底には、この自らが進めようとした「女性宮家」創設、ひいては女系容認への思惑が透けて見えます。今回の自民党内の議論が、あくまで男系継承を維持する方向で進められようとしていることへの牽制であり、議論を振り出しに戻し、再び世論を女系容認へと誘導しようとする意図があるのではないでしょうか。我々は、こうした議論のすり替えを断じて許してはなりません。
唯一の解決策は「旧宮家の皇籍復帰」
皇統の危機を乗り越え、男系による安定的な皇位継承を維持するための、歴史と伝統に則った唯一の解決策があります。それは、戦後GHQの占領政策によって不当に皇籍を離脱させられた旧宮家の方々に、皇籍にお戻りいただくことです。
旧宮家の皆様は、男系の血筋によって現皇室と繋がる、紛れもない皇統に属する方々です。その方々に再び皇族として国家を支えていただくことこそ、先人たちが幾多の危機を乗り越えてきた知恵に学ぶ、正統な道筋です。
にもかかわらず、野田氏をはじめとするリベラル派は、この本質的な解決策には決して触れようとしません。国民の間に存在するであろう抵抗感や、手続きの煩雑さをことさらに煽り、安易な「女性・女系天皇」容認論へと世論を誘導しようとします。しかし、国家百年の計、いや、千年の計である皇室の問題を、その場しのぎの安直な方法で解決しようとすることこそ、最も危険な「勇み足」なのです。
野田元首相の言葉に惑わされることなく、我々国民は、皇統の危機という現実を直視しなければなりません。そして、我が国の歴史と文化の根幹である「万世一系の男系継承」という国体を守り抜くため、今こそ声を上げるべきです。真に憂うべきは、議論を前に進めることではなく、国家の根幹を揺るがす決断を先延ばしにし続ける、その「怠慢」なのですから。
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