【保守の視点】萩生田氏の「解散慎重論」は国益か、それとも先送りか
自民党の萩生田光一政調会長が、早期の衆議院解散・総選挙に慎重な姿勢を示したことが波紋を広げている。G7広島サミットを成功させ、内閣支持率が上向く中での「解散風」に対し、党の政策責任者が待ったをかけた形だ。
萩生田氏は「防衛力の抜本強化」「異次元の少子化対策」といった重要政策を挙げ、「課題を一つひとつクリアしていくのが先だ。解散している場合ではない」と述べた。この発言を、我々保守を自認する者はどう受け止めるべきか。単なる政局の話としてではなく、国家の未来を見据えた国益の観点から深く考察したい。
評価すべき「国家の土台」を優先する姿勢
まず、萩生田氏の主張の根幹にある「政策課題の解決が最優先」という姿勢は、保守の理念に照らして大いに評価できる。
保守主義の根幹は、国家の永続性と安定を重んじ、その基盤たる国力を着実に充実させていくことにある。目先の政権浮揚や党利党略のために解散権を弄ぶのではなく、国家百年の計に関わる課題に腰を据えて取り組むべきだ、という主張は正論である。
とりわけ、氏が挙げた「防衛力の抜本強化」と「少子化対策」は、まさに国家存立の根幹をなす喫緊の課題だ。厳しい安全保障環境の中で国家の独立と国民の生命を守る防衛力。そして、国家の活力を維持し、社会保障制度を支えるための人口問題。これらは、一時的な景気対策や人気取りの政策とは次元が違う、極めて重いテーマである。
国民が物価高に苦しむ中、これらの難題の解決に向けた道筋もまだ明確ではない。そのような状況で政局を優先し、政治的空白を生み出すような解散は無責任のそしりを免れないだろう。国民生活に寄り添い、足元を固め、着実に政策を前進させる。これこそが、国民の信頼を得る保守本流の姿と言えよう。
一方で拭えない「先送り」と「党利党略」への懸念
しかし、手放しでこの慎重論を礼賛することもできない。我々が警戒すべきは、この「政策優先」という正論が、単なる「先送り」の言い訳や、選挙を戦う自信のなさの裏返しになってしまうことである。
第一に、「決められない政治」への回帰という懸念だ。防衛費増額の財源を巡る議論は、増税を含む国民負担を伴うものであり、党内ですら意見が割れている。このような困難な改革を断行するためには、時に解散総選挙によって国民の信を問い、強力な政権基盤を確立する必要がある。課題が山積しているからこそ、国民の審判を経て得られる「推進力」が不可欠な場面もあるのだ。課題解決を理由に解散を先送りし続けた結果、政権が求心力を失い、重要政策が停滞・骨抜きにされてしまう事態こそ、我々は最も恐れなければならない。
第二に、この発言が、現在の岸田政権の支持率や選挙情勢を冷静に分析した上での「今は勝てない」という党利党略に基づくものではないか、という疑念だ。もしそうであるならば、それは国益を考えた上での高邁な判断ではなく、単に議席を失うことを恐れた内向きな保身に過ぎない。保守は、国家のためとあらば、困難な選挙に打って出てでも国民に信を問う気概を持つべきではないか。
G7サミットという外交成果を、国論をまとめ、国家の進むべき道を示すための好機と捉える見方もあったはずだ。この機を逃すことが、かえって政権のレームダック化を招き、内外の課題への対応力を削ぐ結果に繋がるリスクも考慮すべきである。
結論:問われるべきは「国家観」と「覚悟」
萩生田氏の解散慎重論は、保守として傾聴すべき正論を含む一方で、改革を遅らせる「先送り」に繋がりかねない危うさもはらんでいる。
重要なのは、解散をするかしないか、という戦術論ではない。岸田政権が、そして自民党が、「この国をどういう方向に導こうとしているのか」という明確な国家観と、それを断行する「覚悟」を国民に示すことである。
防衛力を強化し、少子化を克服するために、国民にどのような負担をお願いするのか。そして、その先にどのような日本の未来を描いているのか。そのビジョンを堂々と掲げ、国民に信を問う覚悟があるのか。解散の是非を論じる前に、まずその根本が問われなければならない。
我々国民も、解散風に一喜一憂するのではなく、政権与党が国益の観点から判断を下しているか、その覚悟は本物かを厳しく見極めていく必要がある。国家の土台を再構築するという歴史的な課題の前に、政治家たちの真価が問われている。
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