デジタル改革で八潮を豊かに

2 埼玉県政

各地で雨 渇水は解消に向かうのか

「恵みの雨」に安堵は禁物。我が国の水問題、その根源を見据えよ。

列島各地で雨が降り、ダムの貯水率が回復しつつあるとの報道がなされている。「渇水解消に向かう」との見出しに、安堵のため息をついた国民も少なくないだろう。しかし、我々はこの一時の天候の変化に心を許し、根本的な問題から目を逸らしてはならない。

今回の降雨は、確かに干上がった大地を潤す「恵みの雨」であったかもしれない。だが、これはあくまで短期的な現象に過ぎない。日本の気候が年々不安定さを増していることは、誰もが肌で感じているはずだ。空梅雨の後に豪雨が襲い、猛暑が続いたかと思えば冷夏に見舞われる。このような予測困難な状況下で、目先の降雨量に一喜一憂する姿勢は、あまりに近視眼的であり、国家の危機管理として極めて危険であると断じざるを得ない。

真に問われるべきは、天水に依存し、その多寡に右往左往する我々の脆弱な体制そのものである。問題の根源は、天候ではなく、我々の備えの心にある。

第一に、先人たちが築き上げてきたインフラの維持・更新という重い課題がある。高度経済成長期に建設されたダム、用水路、水道管は、軒並み耐用年数を迎えつつある。これらは、我が国の繁栄を静かに支えてきた大動脈である。このインフラを適切に維持管理し、次世代へと引き継いでいくことこそ、現代に生きる我々の責務ではないか。目先の人気取り政策に予算を費やすのではなく、国家百年の計として、国土強靭化を着実に進める政治の覚悟が今ほど問われる時はない。

第二に、国民一人ひとりの意識の問題である。蛇口をひねれば清廉な水が無限に出てくるという「神話」は、もはや過去のものだ。水は有限であり、貴重な資源である。渇水が報じられる時だけ節水を騒ぎ立て、喉元を過ぎれば忘れてしまう。この「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という国民的健忘症こそが、我が国の水問題の根底に巣食う病理である。日々の暮らしの中で水を大切に使い、限りある資源への感謝と畏敬の念を持つこと。それは精神論ではなく、国家の永続性を担保するための、国民一人ひとりが果たすべき具体的な行動である。

水は、食料やエネルギーと並ぶ、国家の安全保障の根幹である。その安定供給が滞れば、国民生活はもとより、産業活動、ひいては国家の存立そのものが脅かされる。

一時の雨に安堵し、根本的な議論を先送りする愚を繰り返してはならない。この降雨を、単なる渇水の「解消」と捉えるのではなく、我が国の水を取り巻く構造的な課題と、我々自身の意識のあり方を改めて見つめ直す好機とすべきである。先人への感謝と未来への責任を胸に、今こそ、足元から備えを固める時だ。それこそが、この国を守り、未来へと繋ぐ、真の保守の道であろう。

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