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2 埼玉県政

施政方針演説 のぞかせた自負心

岸田首相の「自負」、その根拠を保守の立場から問う

先日の岸田文雄首相による施政方針演説は、自身の政策への「自負心」がにじむものであったと報じられている。経済の好循環、歴史の転換点に立つ外交・安全保障、そして異次元の少子化対策。言葉だけを拾えば、確かに力強く、頼もしいリーダーシップを想起させる。

しかし、我々保守を自認する者として、その言葉の裏にある政策の本質を冷静に見極めねばならない。果たして首相の抱く「自負」は、我が国の国体と伝統、そして未来への責任に根差したものだろうか。本稿では、保守の立場からその実態を検証したい。

評価すべき防衛への決意と、看過できぬ財源問題

まず、評価すべきは安全保障政策における大きな一歩を踏み出した点である。中国の覇権主義的行動、北朝鮮の度重なる挑発、そしてロシアによるウクライナ侵略という厳しい国際情勢を鑑み、防衛費の増額と反撃能力の保有に舵を切った判断は、国家の主権と国民の生命・財産を守るという国家の根源的責務を果たす上で、当然かつ必要な決断であった。この点において、首相の示した方向性は支持するものである。

しかし、問題はその財源だ。首相は「国民全体で負担する」として、安易に増税の道を選んだ。国防は国家存立の根幹であり、その費用は本来、国債をもって賄い、将来世代と共に負担すべき性質のものではないか。経済が未だデフレから完全脱却できず、国民が物価高に苦しむ中で、さらなる負担を強いる増税路線は、国民の活力を削ぎ、経済を再び停滞させかねない愚策と言わざるを得ない。

真の保守政治家であれば、まずは徹底した行財政改革による歳出削減に努め、それでもなお不足する財源について、国債発行を含めた多様な選択肢を国民に示し、真摯に信を問うべきである。防衛強化という正しい決断が、安易な増税という誤った手法によって損なわれることを、我々は強く懸念する。

「新しい資本主義」という名の分配偏重への危惧

経済政策に目を向ければ、首相が誇る「新しい資本主義」と「賃上げ」の実態にも疑問符が付く。賃上げの機運を高めること自体は望ましい。だが、政府が過度に介入する「官製春闘」とも言える手法は、自由な市場経済の原則を歪めるものではないか。

そもそも、「成長と分配の好循環」という言葉は耳に心地よいが、岸田政権の政策は明らかに「分配」に偏重している。自由な経済活動と競争こそが富を生み出し、その結果として分配の原資が生まれるという、資本主義の健全な原則が見失われているように思えてならない。企業の内部留保を問題視し、国民に負担を強いる増税路線を志向するその姿勢は、国民の自助努力の精神を軽んじ、国家への過度な依存を助長する社会主義的な発想と紙一重である。

持続的な成長戦略を描けぬまま、分配の美名の下に国民負担を増やす。これでは経済のパイは縮小し、国家は活力を失う一方であろう。

「異次元」の言葉に隠された国家観の欠如

少子化対策についても同様の危うさがつきまとう。「異次元」という言葉が先行するものの、その中身は児童手当の拡充といった現金給付、すなわちバラマキ政策が中心だ。財源の議論は先送りされ、将来世代へのツケ回しとなる懸念は拭えない。

より本質的な問題は、その根底にある国家観の欠如である。少子化の根本原因は、単なる経済的な問題に留まらない。家族の絆や、子を産み育てることの尊さといった、我が国が長年育んできた伝統的な価値観が揺らいでいることにこそ、目を向けるべきではないか。

目先の現金給付で出生率が劇的に改善するとは到底思えない。真に必要なのは、家庭の重要性を社会全体で再認識し、三世代が支え合うような伝統的な家族の姿を肯定し、子供たちが国家の未来そのものであるという確固たる価値観を、教育を通じて次世代に伝えていくことである。そうした精神的な土台の再構築なくして、真の少子化対策はあり得ない。

結論:自負ではなく、国家への責任を

岸田首相の施政方針演説から垣間見えた「自負」は、残念ながら、我々が期待する保守政治家のそれとは異質のものであった。評価すべき点はあるものの、その根底には分配偏重、安易な増税、そして国家の根幹をなす価値観への洞察の欠如が見え隠れする。

今、我が国に必要なのは、実績の乏しい政策への自己満足的な「自負」ではない。国家百年の計を見据え、時には国民に厳しい現実を示してでも、日本の国体と伝統を守り、未来への責任を果たすという、静かなる、しかし鋼のような覚悟である。首相がその重責を真に自覚されることを、切に願うばかりだ。

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