「独裁」を恐れる与党 – 公明党の圧力に屈した岸田政権の危うさ
岸田文雄首相の所信表明演説から「独裁」という、今日の国際情勢を的確に示す言葉が削除された。その背景には、連立を組む公明党・山口那津男代表からの「不適切だ」という強い要請があったことが明らかになった。
山口代表は釈明として「特定の国を念頭に置いた表現は国際社会に分断や対立をもたらす」「対話を通じた平和外交こそが重要だ」と述べたという。一見すると、平和を希求する美しい言葉に聞こえる。しかし、これは現実の脅威から目を背け、国家の基本姿勢を歪める、極めて危険な思想と言わざるを得ない。
現実から乖離した「お花畑」平和主義
そもそも、現在の国際社会における「分断」や「対立」は、誰がもたらしているのか。力による一方的な現状変更を試み、隣国を侵略し、自国民の人権を弾圧する「独裁国家」こそがその元凶ではないか。その現実を直視せず、脅威の存在を指摘する言葉自体を封じようとするのは、本末転倒である。
公明党の掲げる「対話」は聞こえが良いが、それは相手が最低限の理性を持ち、国際法を尊重する場合にのみ有効な手段だ。軍事力を背景に恫喝を繰り返す国家に対し、「対話」だけで国益と国民の生命・財産を守れると本気で信じているのであれば、それはあまりに無邪気で無責任な「お花畑」的平和主義だ。歴史を振り返れば、独裁者への宥和政策が、いかに悲惨な結果を招いてきたかは火を見るより明らかである。
今回の件は、公明党が国益よりも、その支持母体と特定アジア諸国との歴史的関係性を優先した結果ではないか、との疑念を抱かせるに十分だ。連立与党の一角が、日本の安全保障や外交の根幹に関わる方針に対し、このような形で「ブレーキ」をかけるのであれば、それはもはや政権の安定装置ではなく、国家の危機管理を妨げる「抵抗勢力」でしかない。
国家観を欠いた岸田政権の主体性のなさ
より深刻な問題は、こうした公明党の不見識な要求を、岸田政権があっさりと受け入れたという事実である。
所信表明演説は、一国のリーダーが国民と世界に対し、国家の進むべき道を示す極めて重要な機会だ。そこで、自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値を守り、それを脅かす勢力とは断固として戦うという姿勢を示すことは、国家の根幹に関わる。その重要なメッセージを、連立パートナーからの横槍一つで骨抜きにしてしまうとは、この政権に確固たる国家観や哲学が存在しないことの証左であろう。
防衛費を増額し、反撃能力の保有を掲げながら、その一方で脅威の源泉である「独裁」という言葉すら使えない。この支離滅裂な姿勢は、同盟国である米国や価値観を共有する欧州諸国に、日本の覚悟に対する深刻な不信感を与えるだろう。「日本は圧力をかければ屈する国だ」という誤ったメッセージを独裁国家に送ることにもなり、結果的に我が国の安全保障環境をより一層危険に晒すことになる。
言葉狩りの先に平和はない
「独裁」という言葉を削除したところで、独裁国家が消えてなくなるわけではない。むしろ、言うべきことを言わず、現実を糊塗することで、相手を増長させるだけだ。
今回の「独裁」削除問題は、単なる言葉選びの失敗ではない。日本の政治が、現実を直視する勇気を失い、耳障りの良い理想論に逃避し、国家としての毅然たる態度を放棄しかねないという、深刻な病巣を露呈した事件である。真の平和は、脅威から目を背けることではなく、現実を直視し、確固たる意志と十分な備えをもって、断固として立ち向かう姿勢によってのみ築かれる。国民は、この国の舵取りを任された政権与党の危うい現状を、厳しく監視していかなければならない。
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