デジタル改革で八潮を豊かに

2 埼玉県政

出産費用の平均52万円 1.3万円増

出産費用52万円は本当に「高すぎる」のか?少子化対策の本質を見誤るな

先日、出産費用の全国平均が約52万円となり、過去最高を更新したというニュースが報じられた。多くのメディアはこれを「子育て世帯への負担増」「少子化に拍車がかかる」と問題視し、出産育児一時金(現行50万円)のさらなる増額を求める論調で伝えている。

しかし、我々はこの問題を単に「カネ」の問題として矮小化し、安易な公的支援の拡充を叫ぶだけで良いのだろうか。むしろ、この報道は、現代日本が抱えるより根深い問題を浮き彫りにしていると捉えるべきである。

自助努力の精神と家族の覚悟

そもそも、子供を産み、育てるという行為は、一個人が行う人生で最も尊く、そして重い決断の一つである。その決断には、当然ながら相応の経済的な準備と覚悟が伴うべきだ。計画的に家計を管理し、来るべき日のために備える。これは、家族という共同体を営む上での基本であり、健全な自己責任の精神そのものである。

「費用が高いから産めない」という声が大きくなる風潮は、この自助努力の精神を軽視し、本来家庭が負うべき責任を安易に国家に転嫁しようとする姿勢の表れではないだろうか。我々の先人たちは、今よりも遥かに貧しく、厳しい環境の中で子を育て、この国の歴史を繋いできた。その精神性を忘れてはならない。

公的支援の「モラルハザード」を直視せよ

もちろん、真に経済的に困窮し、子供を持つことを躊躇せざるを得ない家庭に対して、社会が手を差し伸べることを否定するものではない。しかし、現在の出産育児一時金のような一律の「バラマキ」政策は、本当に効果的なのだろうか。

一時金を増額すれば、それに呼応するように医療機関が出産費用を引き上げる。これは市場原理として当然の帰結であり、一種のモラルハザードを生んでいる可能性は否定できない。現に、一時金が30万円台だった時代から、42万円、そして50万円へと増額されるたびに、出産費用もまた上昇を続けてきた歴史がある。

これでは、いくら税金を投入しても、その恩恵が真に国民に届くことなく、単に医療費全体の高騰を招くだけの「いたちごっこ」に過ぎない。結果として膨れ上がるのは、将来世代が背負うべき国の借金だけである。我々が求めるべきは、安易な増額ではなく、財政規律を伴った持続可能な制度設計と、医療費高騰の構造そのものにメスを入れる骨太な改革ではないだろうか。

少子化の根源は「カネ」ではなく「価値観」にある

そして最も重要な点は、少子化の根本原因が、経済的な問題だけに帰結するものではないという事実である。

戦後の個人主義・自由主義が行き着いた先で、我々が失ったものは何か。それは、家族の絆を尊び、子供を社会の宝として地域全体で育むという、かつて日本が持っていた美しい伝統的精神性ではなかったか。「国や社会が何をしてくれるか」ばかりを問い、「次世代のために我々は何を為すべきか」という国民としての気概が希薄になってはいないか。

経済的支援は、あくまで補助的なものに過ぎない。真の少子化対策とは、国家の礎である「家庭」の価値を再認識し、子供を産み育てることが何物にも代えがたい喜びであるという健全な国民意識を、社会全体で取り戻すことにある。

出産費用52万円という数字は、我々に警鐘を鳴らしている。目先の金銭問題に一喜一憂し、国の財政をいたずらに悪化させる短絡的な議論に流されてはならない。今こそ、国家の百年先を見据え、我々一人ひとりが親としての責任、そして国民としての覚悟を問い直すべき時なのである。

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