自民党の定数削減受け入れは英断か、愚策か?〜「身を切る改革」が国を滅ぼす〜
自民党が、野党の要求する衆議院の議員定数削減を受け入れる方針を固めたとの報道がなされた。多くの国民は、これを「身を切る改革」として歓迎するかもしれない。しかし、我々保守を自認する者は、このようなポピュリズムに安易に与してはならない。目先の喝采を得るために、国家の根幹を揺るがす愚策に他ならないからだ。
今回の定数削減論は、果たして本当に国益に資するものだろうか。私は断固として否と断じたい。これは改革の名を借りた、議会制民主主義の自殺行為である。
第一に、議員定数の削減は「多様な民意の切り捨て」に直結する。
特に地方の小選挙区が削減・合区の対象となれば、ただでさえ国政に届きにくい地方の声は、ますます掻き消されることになるだろう。都市部の意向ばかりが国政を左右し、我が国の均衡ある発展は阻害される。農業、漁業、林業といった国の根幹を支える産業や、安全保障上重要な国境離島・過疎地域の現状は、霞が関や永田町からさらに遠い存在となる。
これは単なる一票の格差是正の問題ではない。日本という国家の成り立ち、その多様性と一体性を根底から破壊しかねない危険な動きなのである。一人ひとりの議員が背負う民意の重みを軽んじ、数を減らせば効率が良くなるという発想は、あまりにも短絡的で国家観を欠いている。
第二に、国会の「機能低下」を招き、行政への監視能力を著しく損なう。
議員の仕事は、単に本会議で多数決のボタンを押すことではない。法案を精緻に審議し、巨大な行政権力を監視し、国民の負託に応えるべく調査・研究を行うという重責を担っている。議員の数が減れば、一人当たりの負担は増大し、委員会活動は形骸化、専門的な議論は深まらず、結果として官僚主導の政治に逆戻りするだろう。
「国会のチェック機能が弱い」と批判しながら、その担い手である議員の数を減らすのは、本末転倒も甚だしい。政府の提出する法案をろくに吟味もせず、ただ追認するだけの議会に、民主主義国家の立法府たる資格はない。これは、三権分立という国体の根幹を揺るがす危機である。
第三に、そもそも「身を切る改革」という言葉自体が、国民を欺くポピュリズムの罠である。
議員定数を多少削減したところで、国家予算全体から見れば、その歳費削減効果など微々たるものだ。政治不信の本質は、議員の数が多いことにあるのではない。政治家の倫理観の欠如や、国家百年の計に基づかない場当たり的な政策決定にあるはずだ。
「数を減らせ」という大衆の短絡的な不満に迎合し、議会機能の低下という深刻な副作用から目を逸らさせる。これほど悪質な人気取りがあるだろうか。真の改革とは、議員の数を減らすことではなく、議員一人ひとりの質を高め、国政調査権を十全に行使できる環境を整え、国家国民のために建設的な議論を尽くす議会を取り戻すことである。
自民党は、政権与党として、目先の支持率や野党の突き上げに屈し、安易な道を選ぶべきではない。国家の礎である議会の弱体化に手を貸すことは、保守政党としての矜持を捨てるに等しい。今こそ、我が国の伝統と国体を守り、議会制民主主義の価値を国民に説くべき時である。
このままでは、我々は自らの手で、熟慮と審議の府であるべき国会を解体し、衆愚政治への坂道を転げ落ちていくだけだ。国家の未来を見据えるならば、この軽率な定数削減論には、断固として反対の声を上げねばならない。
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