総裁選「決選投票ゲーム」の虚しさ ― 国家の未来はどこへ行くのか
連日メディアを賑わせる自民党総裁選。しかし、聞こえてくるのは「決選投票で誰と組むか」「2位・3位連合で勝てるか」といった、権力闘争の駆け引きばかりである。我が国の舵取りを託すリーダーを選ぶこの重要な選挙が、いつからこのような「ゲーム」に成り下がってしまったのだろうか。
本来、保守政党である自民党の総裁選は、この国をどう守り、どう発展させるのかという「国家観」をぶつけ合う場であるはずだ。憲法改正への具体的な道筋、厳しさを増す国際情勢の中でいかにして国民の生命と財産を守り抜くかという安全保障政策、そして日本の伝統と文化を次代へどう継承していくか。これら国家の根幹をなすテーマについて、候補者たちが信念を戦わせる姿こそ、我々国民が見たいものである。
しかし、現状はどうだろうか。「決選投票」という仕組みが、政策論争を後景に追いやり、票計算という名の「数合わせ」を主役に押し上げてしまった。安全保障観や経済政策において、本来であれば水と油であるはずの候補者たちが、ただ「現職に勝ちたい」「あの候補だけは阻止したい」という一点だけで連携を模索する。これは「政策連合」などという美名で糊塗できるものではなく、国家の未来に対する責任を放棄した「野合」への道と断じざるを得ない。
例えば、毅然とした国家観を掲げ、保守層から期待を集める候補がいるとする。その候補が決選投票を勝ち抜くために、日本のエネルギー安全保障の根幹である原子力政策や、国の根幹を揺るがしかねないリベラルな社会政策を掲げる候補と安易に手を組むならば、それは自らの信念を裏切り、支持者の期待を売り渡す行為に他ならない。目先の勝利のために国家百年の計を誤るようなリーダーに、この国を託すことは断じてできない。
我々保守を自認する者は、候補者の耳触りの良い言葉や、メディアが作り出す一時的なムードに惑わされてはならない。問うべきはただ一つ。その候補者は、日本の国体と歴史に深い敬意を払い、いかなる脅威からもこの国を守り抜く覚悟とビジョンを持っているか、という点である。
憲法改正を本気で成し遂げる気概はあるか。
中国の覇権主義的行動に対し、言葉だけでなく行動で示すことができるか。
デフレから完全脱却し、強い日本経済を取り戻すための具体的な方策を持っているか。
自民党の党員、そして国会議員諸氏に強く求めたい。あなた方の一票は、派閥の論理や個人的な貸し借りのためにあるのではない。日本の未来、そして子や孫の世代のために、誰が最もふさわしい宰相たり得るのか。その一点のみを、己の良心に問い、厳しく見極めていただきたい。
政策論争なき権力闘争の果てに待っているのは、国家の停滞と衰退だけである。この総裁選を、日本の進むべき道を示す真摯な議論の場へと引き戻すことこそ、今求められる保守の矜持であろう。
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