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2 埼玉県政

鹿児島県霧島市で震度4 津波なし

【霧島市震度4】「津波なし」で安心するな。国土の宿命と日本人の覚悟を問う

先日、鹿児島県霧島市で震度4を観測する地震が発生した。幸いにも大きな被害の報告はなく、津波の心配もないとのことで、現地の方々をはじめ、多くの国民が胸を撫で下ろしたことだろう。まずは、被害がなかったことに安堵の意を表したい。

しかし、この一報にただ安堵し、「何事もなくて良かった」と日常に戻るだけで、我々日本人は本当に良いのだろうか。今回の地震は、我々が暮らすこの国の本質と、そこに住まう者の覚悟を改めて突きつける「警鐘」に他ならない。

「平穏」は当たり前ではない。国土の宿命を直視せよ

日本列島は、地球上で最も自然の猛威に晒される場所の一つである。地震、津波、火山噴火、台風。我々の祖先は、この厳しくも豊かな自然と対峙し、時にその牙に倒れながらも、知恵と努力でこの国を築き、守り抜いてきた。現代に生きる我々は、その歴史の連続性の上にあることを須臾も忘れてはならない。

「津波がなくて良かった」のではない。「今回は」津波が来なかっただけである。震度4で済んで良かったのではない。「今回は」震度4で済んだだけである。この認識の差が、国家の、そして国民の防災意識を大きく左右する。喉元過ぎれば熱さを忘れる、という悪癖を断ち切り、今回の揺れを「次なる大災害への備えを怠るな」という天からの警告として、厳粛に受け止めるべきである。

問われる「自助」の精神。国家に依存する脆弱性からの脱却

災害が起こるたび、政府や自治体の対応、すなわち「公助」に注目が集まる。迅速な救助活動や支援はもちろん重要であり、そのための体制強化は国家の責務である。自衛隊、警察、消防の方々の献身的な活動には、常に感謝と敬意を払わなければならない。

だが、我々はいつから、自らの身を自らで守るという、当たり前の気概を忘れかけてしまったのだろうか。大規模災害時において、公助には限界がある。発災直後の混乱の中、頼れるのは自分自身と家族、そして地域コミュニティの「共助」である。

各家庭での食料や水の備蓄、家具の固定、避難経路の確認。これらは「面倒なこと」ではない。この国に住む国民としての「責務」である。自分の命は自分で守る。家族の命は自分が守る。この「自助」の精神こそが、強靭な社会の根幹をなし、結果として国家全体の被害を最小限に食い止める力となるのだ。

エネルギー安全保障と国土強靭化という国家の意志

今回の震源地は、川内原子力発電所からもそう遠くない。案の定、一部からは原発の危険性を煽る声が聞こえてきそうだが、短絡的な感情論に流されてはならない。今回の地震においても、川内原発に異常は確認されなかった。この事実は、日本の原子力技術が世界最高水準の安全基準の上に成り立っていることの証左である。

災害大国日本において、エネルギーの安定供給は国家の生命線だ。大規模災害による停電は、人命救助から復旧作業、国民生活の維持に至るまで、あらゆる活動を停滞させる。天候に左右される不安定な再生可能エネルギーに国家の命運を委ねる愚を避け、有事の際にも安定した電力を供給できる原子力を、現実的な選択肢として維持・活用していくことこそ、国家の責任ある姿勢と言えよう。

同時に、政府は国土強靭化の歩みを決して止めてはならない。道路、橋、堤防といったインフラの整備・更新は、国民の生命と財産を守るための不断の戦いである。緊縮財政を理由にこれを怠ることは、未来の国民への背信行為に等しい。

今回の霧島市の地震は、単なる地方のニュースではない。全ての日本国民が、この国の宿命を再認識し、自らの足で立つ「自助」の精神を取り戻し、そして国家としての揺るぎない備えを再確認するための、貴重な機会と捉えるべきである。平穏な日常に感謝しつつも、その下に横たわる厳然たる事実から目を背けることなく、来るべき国難に備えたい。

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