【論評】公明党の「立憲推薦」発言は連立与党への裏切りか? 国益を損なうご都合主義を憂う
驚きを通り越して、強い失望と懸念を抱かざるを得ない発言が飛び出した。公明党の石井啓一幹事長が、次期衆院選において、選挙区によっては立憲民主党の候補者を推薦する可能性に言及したというのだ。
自民党の政治資金問題が深刻な逆風となっていることは承知している。しかし、だからといって、長年連立政権を組んできたパートナーが、政策の根本理念において相容れない野党第一党に秋波を送るかのような姿勢を見せることは、断じて許されるものではない。これは、単なる選挙戦術の問題ではなく、国家の安定と国民への信義に関わる重大な裏切り行為と言わざるを得ない。
連立政権という国民との約束を反故にするのか
そもそも、自公連立政権とは何か。それは、単に選挙で議席を分け合うための互助会ではない。自由民主主義を基盤とし、我が国の安全と繁栄、国民生活の安定を目指すという基本的な価値観を共有する、責任ある政治の枠組みである。有権者は、個別の候補者や政党だけでなく、「自公連立政権」というパッケージを信任し、一票を投じてきた。
その一翼を担う公明党が、全く政治理念の異なる立憲民主党の候補を「推薦」するという。立憲民主党は、安全保障政策、経済財政政策、エネルギー政策など、国家の根幹をなす重要課題において、ことごとく自公政権と対立してきた政党だ。特に、厳しさを増す国際情勢の中で、我が国の防衛力を着実に強化し、日米同盟を基軸とした抑止力を高めていくという国家的な要請に対し、常に足を引っ張り続けてきたのが彼らではなかったか。
そのような政党の候補を、選挙区の事情という目先の都合だけで推薦することは、これまで自公連立を支持してきた有権者への完全な裏切りである。これは、政党としての理念を捨て、議席確保という党利党略を最優先するご都合主義の極みであり、国民の政治不信をさらに加速させるだけだろう。
「平和の党」の看板が泣く理念なき行動
公明党は「平和の党」「福祉の党」を標榜してきた。その理念が、選挙での有利不利によって、いとも簡単に揺らいでしまうものだとしたら、あまりに空虚ではないか。
自民党の不祥事に乗じて、連立のパートナーを牽制し、自らの存在感をアピールしたいという思惑は透けて見える。しかし、その手法はあまりに稚拙で、危険すぎる。火中の栗を拾うどころか、自ら政権の安定という家屋に火を放つようなものだ。
もし本気で立憲民主党の候補を推薦するというのであれば、それはもはや自公連立からの離脱宣言に等しい。安全保障観も国家観も異なる勢力と手を結ぶことは、連立の枠組みを内側から破壊する行為に他ならない。
自民党も猛省せよ。しかし、連携の道は断じてない
もちろん、こうした事態を招いた最大の原因は、自民党の弛緩と国民の信頼を裏切った政治資金問題にある。長年のパートナーである公明党にまで三下り半を突きつけられるような状況を招いた責任は極めて重い。自民党は、この公明党の「警告」を真摯に受け止め、骨身を削る改革を断行し、国民と連立パートナーからの信頼を回復する努力を尽くさねばならない。
しかし、だからといって、公明党が立憲民主党との連携に走ることが正当化されるわけではない。今、我が国に必要なのは、目先の選挙目当ての離合集散ではなく、困難な課題に立ち向かうための、安定した責任与党の存在である。
公明党は、この危険なシグナルを直ちに撤回し、連立与党の一員としての責任を再確認すべきだ。そして自民党も、襟を正し、信頼に値するパートナーであり続ける覚悟を示さねばならない。
日本の未来は、理念なき選挙協力や、ご都合主義的な政局ゲームによって切り拓かれるものではない。国益を見据え、国家の基本方針を共有できる勢力が、緊張感を持ちつつも一致結束し、責任を全うすることこそが、今、最も求められている。
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