「押し間違え」は国家への背信行為だ ― 国民民主党「誤投票」問題に潜む深刻な病理
国民民主党の議員4名が、我が国の経済安全保障の根幹をなす「セキュリティークリアランス法案」の採決において、党方針の「賛成」に反し、反対や棄権に票を投じた。党執行部はこれを「押し間違い」として早々に幕引きを図ろうとしているが、断じて看過できる問題ではない。これは単なるケアレスミスなどではなく、国会議員としての資質の欠如、そして何よりも国家観の欠如を露呈した、極めて深刻な事態である。
一票の重みを理解しない者に、国を語る資格はない
そもそも、国会議員が投じる一票は、我々国民の生活と国家の未来を左右する極めて重いものだ。その一票を「押し間違えた」という弁明が、いとも簡単に通用してしまう風潮こそ、我が国政治の劣化を象徴している。
仮に本当に押し間違えたのだとすれば、それは職務に対する真摯さや緊張感を著しく欠いている証左であり、議員としての適格性を疑わざるを得ない。国家の重要法案の採決という、最も集中すべき場面でミスを犯すような人物に、どうして国家の舵取りを任せられるだろうか。有権者を愚弄するにも程がある。
さらに深刻なのは、これが意図的な「造反」を「ミス」と偽って糊塗しようとしている可能性だ。報道によれば、反対票を投じた議員の中には、以前から法案に慎重な姿勢を示していた者もいるという。もしそうであれば、これは信念を貫く覚悟もなく、処罰を恐れて「ミスだった」と嘘をつく、政治家として最も卑劣な行為だ。信念があるならば、堂々と造反し、その信を国民に問うべきである。その覚悟なき者が、国家の安全保障という重大事を論じること自体がおこがましい。
安全保障への無理解が生んだ「造反」
今回の法案は、先端技術や機密情報が国外へ流出するのを防ぎ、経済安全保障を強化するための、待ったなしの重要法案である。自由主義陣営が結束し、権威主義国家の脅威に対峙する現代において、我が国の国益を守るための生命線とも言える。
このような国家の根幹に関わる法案に対し、党の方針にすら従えず、反対や棄権という行動に出ること自体、安全保障に対する認識がいかに甘く、他人事であるかを物語っている。党内議論が不十分だったという不満も聞こえてくるが、それならばなぜ、党内で徹底的に議論を尽くし、意見を集約できなかったのか。それは、国民民主党という組織のガバナンスが崩壊していることの証左に他ならない。
「政策本位」「対決より解決」といった耳触りの良い言葉を掲げ、与党に接近することで存在感を示そうとしてきた国民民主党だが、その実態は、国家の基本政策においてすら意思統一もできない「烏合の衆」であったことが露呈した。これでは、いざ国家の危機という時に、一体誰がこの党を信頼できるというのだろうか。
軽すぎる「責任」の言葉
玉木代表は早々に「ヒューマンエラー」と結論付け、処分しない方針を示した。これは、党内の亀裂を隠蔽し、問題を矮小化しようとする責任逃れであり、リーダーシップの放棄である。本来であれば、造反であれミスであれ、党として、そして議員個人として、国民の前にその非を明確に認め、然るべき責任を取るべきだ。
この一件は、国民民主党という一政党の問題にとどまらない。国家の安全保障という大局を見失い、個人の感情や党内の些末な力学を優先する政治家が、国会に存在しているという厳しい現実を我々に突きつけている。
我々国民は、国家の未来を託す政治家を選ぶ責任がある。国益よりも保身を優先し、「押し間違い」という稚拙な言い訳で国民を欺こうとする者を、決して許してはならない。彼らの一票が、本当に国民と国家のために投じられているのか、我々はこれまで以上に厳しい目で見極めていかねばならない。
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