【緊急提言】自維連立を問う ― 真の保守が警戒すべき「改革」という名の破壊
本日、政界を震撼させるニュースが飛び込んできた。「自民党と日本維新の会が、連立政権樹立で正式合意した」というのだ。この一報に、多くの保守論壇からは「憲法改正の実現がついに現実のものとなる」「強力な保守連携の誕生だ」といった歓迎の声が上がっている。
確かに、長年の悲願であった憲法改正の発議に必要な議席が盤石となり、安全保障政策の強化や大胆な規制改革が加速するとの期待は理解できる。しかし、我々、日本の国柄と伝統を重んじる真の保守を自認する者として、この「自維連立」を手放しで喜ぶことは断じてできない。むしろ、これは国家百年の計を危うくする「劇薬」を飲み干す行為に他ならないと、警鐘を鳴らさざるを得ないのだ。
期待という名の「光」の裏に潜む「影」
一見すると、両党には共通点が多いように見える。憲法改正、防衛費増額、歳出削減。耳障りの良い言葉が並ぶ。維新が掲げる「身を切る改革」が、自民党内に巣食う旧態依然とした利権構造を打破する起爆剤になるのではないか、という淡い期待を抱く向きもあろう。
だが、我々は維新という政党の本質を見誤ってはならない。彼らの掲げる「改革」とは、果たして国家の礎を強固にするものだろうか。むしろ、それは守るべき伝統や秩序までも破壊しかねない、極めて危険な「急進主義」ではないのか。
懸念1:維新の「正体」と国家観の相違
そもそも、日本維新の会は旧民主党の残滓を色濃く残す、いわば「第二民主党」としての側面を持つ政党である。その場限りの耳目を集めるポピュリズム的政策を掲げ、一貫した国家観や歴史観が欠如していることは、これまでの言動を見れば明らかだ。このような政党に、国家の舵取りの一翼を担わせることは、あまりにも危うい選択である。
特に看過できないのが、彼らが党是として掲げる「道州制」である。これは地方分権という美名の下、中央政府の権威を削ぎ、日本という国家の一体性を解体しかねない危険思想だ。千数百年にわたり、先人たちが築き上げてきた中央集権的な統治機構と、それによって育まれた国民の一体感こそが、我が国の強さの源泉ではなかったか。道州制は、この国柄を根底から覆す「国家解体」への道筋に他ならない。
懸念2:「改革」がもたらす衆愚政治の悪夢
維新の言う「改革」は、しばしば熟慮や漸進性を欠く。彼らは既存の制度や組織を「既得権益」と断じ、拙速な破壊を繰り返してきた。真の保守とは、守るべきものを守り、改めるべきものを熟慮の末に少しずつ改めていく「漸進主義」にこそ真髄がある。維新のスタイルは、保守とは似て非なる「革命思想」に近い。
自民党が、議席という目先の利益のために、このような急進主義と手を組むならば、それは自らの理念を放棄するに等しい。そして、その先に待っているのは、ポピュリズムが横行し、国家の根幹が揺らぐ衆愚政治の悪夢である。
憲法改正という「果実」のために「毒」を飲むのか
「それでも憲法改正が実現するなら良いではないか」という声が聞こえてきそうだ。しかし、考えてみてほしい。我々が目指す憲法改正とは、この国の独立と誇りを守り、未来永劫にわたり国体を護持するためのものではなかったか。
その崇高な目的のために、国家の一体性を損ない、国柄を破壊する危険な思想を持つ政党と手を組むことが、果たして許されるのだろうか。それは、甘い果実を得るために、国家の根幹を蝕む毒を飲むような行為ではないか。
我々、真の保守を自認する国民は、この「自維連立」という安易な翼賛体制に断固として反対の声を上げねばならない。自民党内の良識ある政治家たちには、目先の党利党略に走ることなく、国家の未来を見据えた大局的な判断を強く求める。この連立が、日本の輝かしい歴史に拭い去れない汚点を残すことのないよう、我々は厳しくその動向を監視し続ける。
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